17

「では、フィッシャー提督に具体的な行動基準などをうかがいますか?」
 そう言ったのはストリギンで、アッテンボローは苦笑いした。
「そういえば、フィッシャー提督とお会いしたときはストリギン大尉はいなかったんだよな。データをもらったのだって図々しいのに、そこまで甘えられるわけないだろう」
「……失礼いたしました」
「というわけで、艦隊行動の基準は新しく作ろう。大変だと思うかもしれないが、そもそも基準がないとそれに外れているかが分からない。各艦ごとの基準と、分艦隊が集合したときの基準を作れば、いざというときにも混乱しなくなるはずだ」
 自信に満ちたアッテンボローの表情は頼もしいのだが、不安がないと言ったら嘘になる。

「その案というか、基準は誰が作るのでしょう?」
 冷静にが言うと、アッテンボローは首をかしげた。
「素案はおれが作るけど、それがちゃんと基準として通用するかは各艦の艦長の代表者に確認してもらいたいなあ」
 アッテンボロー分艦隊に所属する艦船は2,200隻である。すなわち、艦長だけでも2,200人いるということだ。
「……ちなみに、わたしもそこに含まれるのですよね?」
「当たり前だ。旗艦の艦長がいなくてどうする」
「失礼いたしました」
 はすぐに頭を下げた。

「いや、いい。でも、艦長は要塞防御システムがあるからなあ。任せたいのはやまやまだが、この間のように体調を崩されても困るし」
「ですから、それは……」
 なおも言おうとするを、穏やかにラオが制した。
「こうしたらいかがでしょう。確かに艦長は基準をよく理解していただかなければなりませんから、基準を確認する場には同席していただく必要があります。ただ、その前の基準作りの段階を他の方に任せるというのは?」
「……そうだな、それがいい。艦長もそれでいいか」
「はい、異論ありません。お気遣いありがとうございます」
「基準を作るときに誰に協力してもらうか……。ま、ベイリー少佐だろうな。現時点で、なるべく艦隊運用に不安のない艦船の艦長を選ばなきゃならないし」
「同感です」

「基準を作るのはよいとしても、できるまでにある程度の時間がかかるでしょう。その間の演習はいかがいたしますか?」
 そう言ったのはストリギンだった。
「そうだなあ……。基準を作らないうちにあれこれ指示するのは難しいから、ある程度は我慢しなきゃならない。できるだけ、砲撃関係の訓練を取り入れるとか」
「そうですね」
「よし、一応の方向性は決まったな」
「ええ」
 行く先を定めるには、まず、どちらを目指せばいいかをきちんと理解する必要がある。このときのメンバーは確実に一歩を踏み出していた。

「ちなみにアッテンボロー少将、ひとつ言ってもよろしいですか」
「何だ」
 ストリギンはどこか緊張しているように見えたが、さほどためらわずに言った。
「フィッシャー提督にお会いになる前に、どこにいるかお探しになったようですが」
「……そうだが、なぜそれを知っている?」
「ブランキーニ大尉から聞きました。司令官同士にネットワークがあるように、副官にもネットワークがあるのです。今後、もしこういうことがありましたら、直接探される前に小官にお尋ねください」
「分かった、ありがとう」


「じゃ、今日のデータ検証は以上にする。艦長はここに残って、ストリギン大尉はベイリー少佐を呼んで来てくれ、今の話をするから。じゃ、お疲れさま」
「…………」
 さっさとミーティングを終わりにするアッテンボローに、はわずかに苦笑する。ラオとストリギンが執務室を出て行くと、すぐにの隣にやってきて、を腕の中に閉じ込めた。
「お疲れ」
「……ん」
 そう言って頬に唇を寄せる。

「誰が入ってくるか分からないのに……」
「大丈夫だって。さすがにノックなしで入って来る奴はいないよ」
 小さいが、先ほどまでとは打って変わって甘い声である。
「でも、時間がないのは確かだな」
「ええ」
「じゃ、これで我慢しとく」
 唇を重ねてすぐに身体を放したとき、執務室にノックの音がした。
「ベイリー少佐です」
「ああ、入ってくれ」
「失礼いたします」


 多少は顔が赤かったかもしれないが、幸い、ベイリーはを見ても何も言わなかった。
「ストリギン大尉から聞いているか?」
「いえ、何も」
「……気が利かないなあ」
 何気ない言葉だが、は顔をしかめる。
「提督はそもそもベイリー少佐を呼んでくれとしかおっしゃっていませんが」
「そうか。でも……」
「部下に過剰な気遣いを要求しないでください、提督」
「……そうだな。おれが悪かった」
 このやりとりに、ベイリーが笑う。
「艦長、その辺りはさすがに士官学校の同期ですね。小官にはとても言えません」
「そうですか?」
「ええ。それで、小官はどういった用件で呼ばれたのでしょうか」

 アッテンボローは改めてさきほどまでの話を繰り返した。
「なるほど、いいところに目をつけられました。確かに、基準はないよりあったほうがいいですね。それに勝手に決めて押しつけられるより、各艦のことをよく知ってる人たちが基準作りに関われるほうがより理解度や確実性が増すでしょう」
 何気ない言葉だが、アッテンボローは顔をしかめている。
「……ベイリー少佐。相手がおれだからまだいいけど、貴官はやっぱりもうちょっと言葉に気をつけたほうがいいぞ」
 ベイリーはアッテンボローが何に引っかかったのか、すぐに気づいたようだった。
「失礼いたしました。勝手に決めて押しつけられるというのは言いすぎでした」
「ああ、分かっているならいい」
 
「そうだ、司令部から帝国方面に哨戒に出す戦艦を5隻選んでくれとも言われてたんだ。ついでに選んでもらえるか? もちろん、メイヴは除外していいから」
「……提督、そのお話は小官も初耳ですが」
「悪い、さっき言うべきだった。しかし、おれは謝ってばっかりだなあ」
 さすがにアッテンボローは苦笑いする。
「ちなみに艦長、旗艦を哨戒に出さない理由は分かるか?」
「旗艦が哨戒に出ると、その間、艦隊運用演習の指揮を執れなくなるから……ですか?」
「ご名答。ちなみにおれは戦艦を乗り換える気は全くない」
「……そうですか」
(そんなことを胸張って言わなくていいのに)
 も苦笑いする。


「アッテンボロー少将……。ということは、艦隊運用に不安の少ない戦艦を選べばいいのですね?」
「ああ」
「各戦艦への事前の打診は必要ですか?」
 アッテンボローとは顔を見合わせた。
「どう思う、艦長」
「……特に必要ないのではと思います。哨戒に出るということは、少なくとも艦隊運用には不安がないと評価されているということですから」
「おれも同感だ」
「かしこまりました。では、まず哨戒に出る戦艦を選ばせていただきます。もちろん、その結果は艦長にもご説明いたしますので」
「……ありがとうございます」
 はそう言って微笑んだ。

 そろそろ時刻は昼である。
「ついでだ、このまま士官食堂に行くか」
「アッテンボロー少将。残念ながら、艦長には小官らと先約があるのです」
「ん?」
 はまた苦笑いした。
「こちらも報告を忘れておりましたが、通信長がようやく着任しましたので……。短時間ですが、親睦を深めてまいります」
「なるほど」
 このままここで話していても仕方がない。
「行きましょうか、ベイリー少佐」
「かしこまりました」
「では、失礼いたします」


 メイヴの幹部5人は連れ立って士官食堂へ来たのだが、来たばかりのときに比べて、さすがに士官食堂はにぎわっていた。広い食堂を見渡しても、5人が揃って座れるスペースはそう多くない。
「……あら、混んでますね」
「ちょっと離れてますが、空いてる席があります。小官が場所取りをしていますよ。セシル、おれに同じものを」
「ああ」
「ありがとうございます、ノールズ少佐」
 は意識して微笑んだ。列に並び、それぞれ食事の乗ったトレイを手にして離れた席に向かうが、両手にトレイを抱えたベイリーはさすがにつらそうである。

「大丈夫ですか?」
「ええ。ヘンリーの食べるものを艦長に持たせるわけにはいきません」
「いえ、そんなことは」
「小官が持ちましょうか?」
 そう言ったのはハールマンだった。
「……では、お願いします」
「ええ」
 苦もなくひょいとトレイを持ち上げる辺り、さすがに大柄なだけはある。

「あ、ありがとうございます」
「艦長、こちらです。ハールマン大尉、小官の食事を持っていただいてすみません」
「いえいえ」
「ノールズ少佐、席取りをありがとうございました。では、いただきましょうか」
 こういうときは、階級の最上位者が食事に手をつけるまで他の者は待たなければならないのが軍隊の慣習である。それを知っているので、はさっさとナイフとフォークを手に取った。そして、食べ始めてすぐ、はベイリーの視線に気づく。

「どうしました?」
「失礼。今日はちゃんと食事を召し上がってらっしゃるので、安心いたしました」
 は苦笑した。はっきり告げたわけではないが、艦隊運用時の食欲不振はどうやらそれなりに知れ渡っているらしい。
「明日からも同じように食べられるといいのですが」
 それはの本音だった。
「明日から、と言いますと……?」
 言いながら首をかしげたのはハールマンである。

「艦隊運用演習が明日から始まる……というか、再開します。わたしはどうも宇宙に出ると食欲が落ちることが多いので」
「それはいけませんなあ。ただでさえ艦長は細くていらっしゃるのに」
「……好きで細いわけではないのです、一応」
「失礼いたしました」
「艦長、医者に行かれたりは?」
 そう言ったのは今度はペトルリークである。は首を横に振った。
「今のところ、そこまでではないと思っているので……。でも、続くようならちょっと通院も考えてみます」
「ええ、ぜひそうしてください。艦長のお身体がいちばんですから」
「いつもいつもご心配おかけしてすみません、ペトルリーク大尉」
「艦長、小官らもみんな艦長を心配しておりますっ」
「同感です」
「……ありがとうございます、みなさん」


 そして、一方では小さくため息をつきながら食事を取っている者もいる。
「アッテンボロー少将、お疲れさまでーす」
 嫌々ながら声の方向を見ると、そこには予想通りポプランとコーネフが立っていた。
「珍しいですね、今日はお一人ですか」
中佐は戦艦の幹部たちと親睦を深めてるからな」
「あ、なるほど。道理で完全ガードなわけですね」
 そういうものでもないと思ったが、アッテンボローは苦笑いしただけである。
「ちょうどいいや、アッテンボロー少将におうかがいしたいことがあるのですが」
「……何だ?」

 にやりと笑ったポプランの顔を見て、正直なところ、嫌な予感しかしない。
「この間、少将の分艦隊はお休みだったそうですね」
「ああ」
「…………」
 さすがに声を低めて問いかけられた内容に、アッテンボローはこれ以上ないほど赤面した。
「ポプラン……お前、おれがそんなこと教えると思うか」
「いいえ」
「じゃ、何で」
「その様子からすると、おれの予測が正しかったことになりますからね」

「…………」
 ポプランは完全に勝ち誇っており、アッテンボローは右手のナイフを強く握りしめた。
「……言うなよ」
「どっちをですか」
「どっちもだ!」
 思わずそう吠えてから、アッテンボローは脱力してコーネフを見た。
「……コーネフ少佐、何か言ってやってくれ」
「小官が言って止まるくらいなら誰も苦労しません」
「だよなあ」
 ここから回復する方法を、アッテンボローは一つしか知らない。

 早めに食事を終えると、アッテンボローはに歩み寄った。
「いかがなさいましたか、提督」
「悪い、ちょっと用事ができた。食事が終わったらおれの執務室に来てくれるか」
「かしこまりました」
 わざわざ断るほどのものではない。は首をかしげつつ、その要請を受け入れた。
「何でしょうね」
「さあ」
 何しろ、午前中にミーティングを終えたばかりなのである。


 食事を終え、は言葉通りにアッテンボローの執務室を訪れた。
中佐、まいりました」
「入ってくれ」
「失礼いたします」
 ドアを開けると、すぐにアッテンボローがデスクから立ち上がる。
「……いかがいたしましたか、提督?」
 その問いが終わらないうちに、アッテンボローがに近づき、すぐに腕の中に閉じ込める。
「だから、どうした……」
 最後まで言い終える前に唇をふさがれる。角度を変えて何度もむさぼるようにされれば、身体から力が抜けてゆくのが分かった。息を止めるのに我慢できなくなる寸前に、何も言わなくても唇が離れる。

「そろそろ限界だろ」
「そうだけど……。どうしたの?」
「昼休み、士官食堂でポプランとやり合って消耗した。回復する方法をこれしか思いつかなくて」
「……もう」
 は顔が赤くなっていることを自覚した。
「ついでに……」
「まだあるの?」
「名前を呼んでくれ」
 ここで断る理由は何もない。
「……ダスティ」

「ありがとう」
 アッテンボローはそう言って微笑み、また唇を重ねる。ただ、そろそろ昼休みも残り少ない。
「回復した?」
「ああ、のおかげでな」
「よかった」
「……また、こうやって呼び出すかもしれない」
「あんまり頻繁でなければ、いいんじゃないかしら」
「そう言ってもらえると助かるよ」
 最後に頬に唇を寄せ、を開放する。

「じゃ、わたしも戻るわ」
「……ありがとう、助かった」
「どういたしまして」
 そう言って微笑んだ後、ふと真顔になる。
「どうした?」
「フィッシャー提督にお礼を言っておいたほうがいいんじゃない? データをいただいたおかげで、わたしたちも方向性が見えたんだし」
「そうだな、ありがとう」


 時間がないわけではないが、今回はさすがに宇宙港の出入港管制室にまで出向く必要はないように思え、アッテンボローは執務室から出入港管制室に通信をつないだ。すぐに応答があり、モニターに銀髪のフィッシャーが映る。
「お疲れさまです、フィッシャー提督」
『今日はいかがされました?』
「先日いただいたデータを検証いたしまして、当分艦隊の進むべき方向が見えました。ご協力いただき、感謝しております。まだまだ途上ですが、引き続き努力いたします」
 アッテンボローがそう言うと、フィッシャーは笑った。
『そうですか、お役に立てたなら何よりです』
「結局、地道な努力に勝るものはなさそうですね」
『それはそうでしょう』
 つい本音が漏れてしまい、アッテンボローは赤面した。
「……失礼いたしました。では、また会議で」
『ええ』


 そうして、午後からはまたデスクワークである。
「そうだ、みなさんに相談したいことがあります。責任者のシフトについてです」
「……そうですね」
 艦隊はいつ「第一級配備」――つまり「いつでも出撃できるよう準備せよ」を命じられるか分からないのである。あらかじめ、緊急時に備えておくのは当然だった。
「メイヴの幹部人員が揃ったということは、他の戦艦もおそらく同じ状況でしょう。そのうち、泊まりで艦隊運用演習に出る可能性がありますから」
 当然ながら、そうなればもう出動と同じである。
「責任者になるのは、艦長と副長と機関長ですかな?」
「ええ」
 ハールマンの問いにうなずくと、ベイリーはを見た。
「艦長、少し時間をいただけますか。案を作ってみますので」
「お願いします」

「……できました。こんな感じでいかがでしょう」
 送られたデータを開くと、は硬直した。
「ベイリー少佐、できればわたしを夜や未明の責任者にしていただきたいのですが」
「それでは艦長の体調が心配です。それに、艦隊運用演習をそんな時間帯に行うと思いますか?」
「…………」
 は沈黙した。言われてみればその通りである。
「でも」
「でもではありません。艦長抜きで演習をするのは特別な場合だけです」
「もちろん、小官もこの案に賛成いたします」
 ペトルリークがそう言ってすぐにベイリーと目くばせをしたことを、は見逃さなかった。

「ベイリー少佐とペトルリーク大尉はいつから結託したのです?」
「小官らは艦長に無理をしていただきたくないのです」
「無理かどうかはやってみないと分かりません」
 はなおも抗弁したが、ベイリーも負けてはいない。
「その結果、体調を崩されては小官らが困ります」
 痛いところを突かれて沈黙したに、ベイリーは苦笑いした。
「失礼いたしました」
「……いえ。ではせめて、わたしが責任者をする時間帯をいちばん長くしていただけますか。日中なら、昼休みもいりませんから」
「しかし……」
「他は譲りますが、これだけは譲れません」

 はきっぱりとそう言った。
「……かしこまりました。では、これではいかがでしょう」
 そう言ってベイリーが提示した資料によると、責任者がの時間帯は9時~19時、ペトルリークが19時~翌日2時、ベイリーが2時~9時となっている。
「ありがとうございます。わたしはこれで構いません」
「……小官も、異論ありません」
 が自分の端末に表示したデータに、それぞれベイリーとペトルリークの電子サインが添付される。それに自分の電子サインを付け足した。
「これは誰かに送信するのでしょうか?」
「……一応、アッテンボロー少将には送っておいたほうがよろしいかと」
「分かりました」
 そう言って書類の体裁を整えながら、このオフィスでのやり取りは想像されているだろうなとは思った。 

「ちなみに、前の艦長はどんなシフトだったのでしょう?」
 が艦長になるとき、アッテンボローは戦艦メイヴの幹部人事を一新させたのである。
「あまり意識していませんでしたが、責任者3人で8時間ずつ区切って、艦長は日中が責任者だった気がしますね。やはり、そのほうが何かと都合がいいんですよ」
 そう言ったのはノールズである。ここにいる中で直接前艦長を知っているのは、ベイリーとノールズだけであった。
「……そうですか」
「そうだ、ということは吾々も部下たちのシフトを割り振らねばなりませんね」
「ええ、お願いします」
 それは戦艦を常時稼働させるために必要な措置である。

「ペトルリーク大尉。もし艦長の休憩時間に緊急の連絡をするとき、どうしていました? やはり通信でしょうか」
 ベイリーに問いかけられ、ペトルリークはうなずいた。
「実際にやったことはありませんが、艦長室か端末に連絡することにしていました」
「やはりそうですか。分かりました」
 その会話を聞いていたは苦笑いしながら口をはさむ。
「念のため言っておきますが、そういう場合、通信は音声だけになる可能性が高いですからね。ご了承ください」
「もちろんです」


 続いて、ベイリーは端末に分艦隊の戦艦のリストを表示させた。
「しかし、戦艦の名前はいろいろですね。由来が分かるものは少ない」
「ええ、駆逐艦や巡航艦ならなになに何号で済みますが、戦艦はそうはいきませんから……。設計者は名づけに苦労していると聞いたことがあります」
 そう言ったのはである。今はみんなどこか余裕があるらしい。先ほど士官食堂で「親睦を深めた」ことも相まってか、オフィスには穏やかな雰囲気が漂っていた。
「どれどれ、小官も見てみましょう」
 分艦隊の戦艦リストくらいは誰でも閲覧することができる。

「ちなみに、メイヴの由来はご存じですか?」
 がそう尋ねると、ベイリーがこう答える。
「ええ。地球時代の……ケルト神話でしたか。そこに出てくる女王の名前で、意味は『酩酊』でしたね。アッテンボロー少将からお聞きしました」
「ということは、メイヴは艦の名前にふさわしい艦長を迎えたわけですねえ。艦長が酩酊するご様子は想像できませんが」
 そう言ったのはハールマンであり、はかすかに赤面した。
「酩酊……は滅多にしませんね、確かに」
「お酒は飲まれます?」
「まあ、たしなむ程度ですが」

「ほう、シャールカという戦艦もあるのですね」
 ペトルリークが声を上げたので、みんないっせいに彼を見た。
「何かご存じなのですか?」
「一時期、自分の名前のルーツはどこかと興味を持って調べていた時期がありましてね。それによると、小官の名前は地球の……中央ヨーロッパの国のものでした。そこの国の伝説に、確かシャールカという女性が出てきまして」
「へえ……」
「だいぶ昔のことなので詳細は忘れてしまいましたが、こうなるとまた調べてみたくなります」

「それを考えると、女性に由来した戦艦の名前は意外と多いのかもしれませんね。ただ、そこに女性艦長を迎えるケースはかなり珍しいでしょうが」
 そう言ったのはノールズである。何しろ軍人の中の女性の割合そのものが少ないうえに、中佐以上の階級の女性はもっと限られるのだ。
「まさか、アッテンボロー提督はだからわたしを艦長にしたんじゃ……」
「いや、さすがにそれはないでしょう」
「……ですよね」
 もちろん、それは言葉だけのことである。が苦笑いすると、オフィスには笑いが起こった。


 艦隊運用演習の方向性が定まっても、状況が劇的に改善するわけではない。したがって、分艦隊の幕僚たちは、ストレスのたまる状況が続くことになる。
「焦りは禁物ですよ、提督」
「分かってるさ」
 ここは例によって昼休みの士官食堂である。そして、相変わらずにあまり食欲はなかった。
「アッテンボロー少将、そろそろ各艦の人員が揃ったようです。日帰りではなく、泊まりの演習に出てもいいころかと思いますが」
 ラオがそう言うと、アッテンボローはちらりとを見た。

「そうだなあ。艦長の食欲が回復して、体調が万全だって確信を持てるようになったら……」
「……本当に申し訳ありません、提督」
「いや、悪い。ごめん、冗談だって」
 何気ない軽口が本気でを落ち込ませてしまい、アッテンボローは慌ててそう言ったものである。
「もう少し様子を見る。まあ、そう言っているうちに年を越しそうだが」
「ええ」

「……艦長として言わせていただければ、できれば事前に連絡していただけると助かります」
「そうだなあ」
 アッテンボローはそう言った後、改めてを見る。
「責任者のシフトは作ったよな?」
「はい。提督にも送信したはずですが」
「……そうだった、悪い。でも、他の戦艦でも同じように作ってるかなあ?」
「何とも言えませんね」
 ラオも苦笑いしている。
「じゃ、念のため通知を出すか」
「そのほうがいいと思います」


 その日の演習の帰り、司令部近くでユリアン・ミンツと遭遇した。
「アッテンボロー提督、演習の具合はいかがですか?」
「まだまだ烏合の衆だな。ワインやウイスキーと同じだ、いい味が出るまで時間がかかる。そうヤン提督に言っておいてくれ、ユリアン、いやミンツ軍属」
 それが明らかに不機嫌な声だったので、はやや目を見張った。
(……さすがに烏合の衆は言いすぎじゃないかしら)
 他の乗員の前であえて厳しく言って、奮起を促す意図があるかもしれない。
「厳しいですね、アッテンボロー少将は」
「ええ」
 背後から同じような感想が聞こえてきて、は苦笑いした。





 士官食堂でアッテンボローとポプランが何を話していたかは、ご想像にお任せします(笑)。
2019/5/24up
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