01

 ダスティ・アッテンボローはこの年26歳。もつれた鉄灰色の髪とそばかす、それに剛柔を兼ね備えた用兵が特徴の快活な青年である。目下のところ、独身で彼女なし。そして、自由惑星同盟軍全体で16人しかいない20代の将官のうちの1人でもある。
 当然ながら、統合作戦本部内は先ほどニュースでやっていた第13艦隊のイゼルローン要塞攻略の話題でもちきりだった。
「おはようございます、准将閣下」
 今朝、端末ごしに聞いたばかりの声がして、アッテンボローは思わず足を止めた。視線の先には、一人の女性が敬礼している。
 身長は平均よりやや高いくらいで、長身というほどではない。それでも、頭の小ささと手足の長さに加えて均整のとれたしなやかな肢体と、白い肌に鳶色のまっすぐな髪、琥珀色の切れ長の美しい瞳は充分に人目を惹く容姿であった。

「……おはよう、少佐」
「失礼いたします」
 夢に出てきた愛しき幼なじみは、現在、同じ第10艦隊に所属しているのである。その姿勢のいい後姿を見ていたら、ついため息が出た。
(他に人がいないときくらい、普通に話してくれてもいいのに)
 階級の差から考えれば当然なのだが、いつもそう思ってしまう。
(……ま、いいか。今週末には会えるんだから)
 思わず頭を振って自分の執務室に向かいながら、アッテンボローは頭を切り替えた。

 士官食堂での昼食を早めに切り上げ、自分の執務室に戻る。将官であるアッテンボローは個室を割り当てられているのだ。
「ヤン先輩、お疲れさまです」
『……ああ、アッテンボローか』
「おめでとうございます。こっちは大騒ぎですよ」
『だろうね』
 偉業を成し遂げた士官学校時代の先輩は、いつもながら淡々としている。それどころか、これから待ち構えている熱狂に今からうんざりしているようにさえ見えた。
(相変わらずだなあ)
「イゼルローン要塞から同盟首都ハイネセンまで、3週間くらいかかるんでしたっけ」
『ああ』
「じゃ、それまでユリアンの淹れる紅茶はお預けですね」
『そうだなあ。でも、それを楽しみにするよ』
「そうしてください。こっちに来たらまた飲みましょう」
『ああ』
 最後にヤンが表情を和らげたのを見て、アッテンボローも安堵した。


 そして約束の週末である。アッテンボローにとっては待ちわびた日と言っていい。約束した黒猫亭にだいぶ早く行って待ってるのもいつもの通りである。そして、自分で早く来ておきながら、カウンターの隣の空席がさびしいと思うのは単なる身勝手だろう。
 が姿を現したのは18時50分。こちらもいつも通り、約束より少し前である。
「お待たせ」
「ああ」
 返事はそっけないが、声音から喜びを抑えきれない。今日は休日なので、当然ながら二人とも私服だった。
「相変わらずワンピースなんだな」
「前にも言ったでしょう? スカートをはきたいけど、コーディネートを考えるのが面倒なの」
 今日のは青のシャツワンピースに白いカーディガンに、見覚えのある一粒ダイヤを三日月モチーフで留めたネックレスをしている。ぱっと見る限り、まず間違いなく軍人には見えない――それはアッテンボローも同様であったが。
「よく似合ってるよ」
「ありがとう、ダスティ」
 は微笑んだ。

「でも、わたしは仕事帰りに会ってもいいんだけどね」
「おれが嫌なんだって。それだとはおれに敬語で話すじゃないか」
「当たり前でしょ。准将閣下をファースト・ネームで呼び捨てにしたのがバレたら、懲罰の対象になっちゃう」
「やめてくれ。何で幼なじみにプライベートでも敬語を遣われなきゃならないんだ」
「それが軍隊じゃない」
 当然ながら、二人の会話の声は低い。それでも、事情を知っているマスターが笑いをこらえているのが分かった。
「何年前だったかしらね、ダスティがわたしの階級を超えたのは……。そのときに言ったでしょ、軍服を着てるときは周りから突っ込まれないようにちゃんと敬語を使うって」
「……それは、分かるんだが」
 アッテンボローは苦笑いし、すぐにこう付け加える。
だって、26歳で少佐なら充分に立派だよ」
「同い年の准将閣下にそんなこと言われても、嫌味にしか聞こえません」
 ウィスキーの入ったグラスを傾けながら、つんとそっぽを向く。その横顔もかわいいと思ったが、さすがに口には出せない。

「前から思ってたけど、ダスティって他にお酒飲む相手はいないの?」
「いるさ、ヤン先輩とか」
「その他は?」
「うーん……。いなくはないけど、仕事がらみの相手と飲むのは緊張するんだよなあ。と一緒にいるのがいちばん気楽なんだ」
「そんなこと言ってるから彼女ができないのよ」
 極めて正論である。
だっておれのことあれこれ言えないだろ」
「ご心配なく、各方面から直接間接問わずに誘われてるわ」
「…………」

 ただでさえ軍は女性の絶対数が少ないうえに、はお世辞抜きで若くて美人なのだ。思わず黙りこむと、は意外そうにアッテンボローの顔を覗き込む。
「失礼ね、そんなに驚くこと?」
「いや、そうじゃない。直接はともかく、間接ってどういうことだよ」
「そんなの決まってるじゃない、息子の嫁にって」
「…………」
 アッテンボローは沈黙した。考えてみれば確かにありそうな話である。
「でも、仕事が忙しくてあんまりそういう気になれなくてね」
「……そうか」
 話の方向は極めて微妙であり、アッテンボローはどこか緊張しながらポケットの中の古い銅の鍵を握りしめた。
「……どうしたの、ダスティ?」
「何でもないよ」
 そう言ってアッテンボローは苦笑し、は首をかしげる。


 気を取り直して適当に料理と酒を注文すると、が切り出したのはやはりあの件である。
「ヤン提督、すごいじゃない」
「ああ」
 イゼルローン陥落の第一報から時間が経つにつれて、ヤンが取った戦術が明らかになっていった。
「しかしよく考えたよなあ。偽の情報で駐留艦隊を要塞の外に誘い出した上で少数の人間を要塞に侵入させて司令部を制圧、要塞主砲で駐留艦隊を撃破するとは」
 アッテンボローは話題が変わってホッとしたものである。
「実際に要塞に侵入したのは誰? よくこんな任務を承諾したわね」
薔薇の騎士ローゼンリッター連隊の隊長だと」
「なるほど、この任務にうってつけだわ」
 薔薇の騎士ローゼンリッター連隊とは、主に帝国からの亡命者の子弟を中心に結成された陸戦部隊である。イゼルローン要塞に侵入するのに、これ以上の人選はないだろう。

「そういえば、この間は何であそこにいたんだ?」
「この間?」
 はまた首をかしげた。
「おれが連絡した日の朝」
「午前中にウランフ提督に提出する書類があったのに、出すのを忘れていたの」
「珍しいな」
 書類を提出し忘れることが、ではない。の場合、午前中が締切なら前日の夕方までに出すのが普通なのである。
「そうなの、うっかりしてて……。気をつけなきゃ」

 そう言って肩をすくめる。同じ第10艦隊に所属していても、顔を合わせるのは滅多にない。何しろ、一個艦隊は実に150万人で構成されているのだ。
「仕事、忙しいか?」
「そうね。でも、やっと慣れてきたかも」
「えーと、が少佐になって8ヶ月か」
「……ダスティが准将になったのも同じタイミングでしょ」
「いや、そうだけど……。正直に言えば、おれはなかなか慣れない」
 それはアッテンボローの本音だった。

「閣下って呼ばれて、個室と副官がつくのが?」
「ああ」
「贅沢な悩みね」
「……だよなあ」
 さほど冷たい口調ではないが、それが一般的な感想なのだろう。またアッテンボローは苦笑いした。
「小官でよければ愚痴を聞きましょうか、准将閣下」
 は笑っていて、それを見て肩から力が抜ける。

「まず、副官が頼りない」
「そうなの?」
「ああ」
 率直に肯定する。
「ダスティが若いから、あんまり年配の士官をつけるわけにはいかなかったんでしょ」
「それと、ウランフ提督の副官との階級のバランスだと」
「じゃ、ダスティが選んだんじゃないのね」
「おれが選べるなら、を副官にしてるよ」
 思いがけない言葉だったのだろう。の反応は明らかに一拍遅れた。
「……それこそ、階級のバランスが問題になるんじゃ」
「それもそうか。じゃ、おれの旗艦の艦長だな。早く中佐になってくれ、まっさきにスカウトするから」
 この辺りはまぎれもない本音なのだが、の表情から特に感情は読み取れない。


「あれ、でもイゼルローン要塞から同盟首都ハイネセンまでは3週間くらいかかるのよね? この熱狂も少しは落ち着くんじゃ」
「落ち着くかもしれないが、先輩が帰ってきたらまた政府が煽るだろ」
「それもそうね」
 話題が逸れたのは意図的かそうでないか。はウィスキーのグラスをかかげ、遠くを見つめた。
「これからどうなるかしら。戦いは遠ざかるか、それとも逆に近くなるか……」
「先輩は前者を望んでるだろうけど」
「言えてるわ」
 そう言ってグラスを傾ける様子も、一幅の絵のようだ。
……」
「何?」
 ウィスキーと同じ、美しい琥珀色の瞳でまっすぐに見つめられると、それだけで緊張する。
「……………………何でもない」
「変なの」
 長い沈黙の後に絞り出した言葉は何の変哲もないもので、アッテンボローは内心でため息をついた。


「それにしても、情けない」
 無人タクシーでを官舎まで送り、そのまま帰路につく。当然ながら、佐官と将官は居住区も、提供される官舎の広さも違う。
 好きだ、愛してる――。ここ最近は会うたびにいつもそう言おうとして、そのたびに言えずに終わるのが常だった。
 定期的に食事と酒を楽しむ仲なのだから、嫌われているはずがない。それでも、自分がにとって特別だという確信もない。だから、一歩を踏み出してよい友人である今の関係を壊してしまうのが怖い。それなら、今のままでいい……。そう思っても、こうして家まで送った後に悶々とするのも常なのである。
 誰よりも知っているはずなのに、誰よりも分からないのがの心だった。

(付き合ってれば、今も一緒にいられるんだろうなあ……。そうなりたいもんだ)
 アッテンボローももお互いに一人暮らしである。いい大人同士なのだし、休日の前にわざわざ自分の家に帰る必要もない。
(さて、どうする)
 アッテンボローは深呼吸した。正確な情報がなければ、進むか退くかの判断ができない。
(……退く? おれが?)
 自分に問いかけた言葉に、愕然とする。
(冗談じゃない、簡単に誰かにとられてたまるか)
 思わず拳を握り締める。何しろ20年以上前から目を付けていた幼なじみなのだ。具体的に他の男の影が浮かんだわけでもないのに、闘志を燃やしている自分が妙におかしかった。


 そして3週間後、ヤン・ウェンリーの帰還は文字通り熱狂で迎えられた。傍から見ていてもうんざりするくらいだから、当の本人はもっとうんざりしているだろう。ヤンはこの手のことを喜ぶ人種ではないのである。
 こういうときに家を訪問してもマスコミの餌食になるだけなので、またアッテンボローはヤンの端末に通信をつないだ。
「……お疲れさまです、先輩」
『ああ』
 ヤンは見るからにげっそりしていた。
「おーいユリアン、先輩はちゃんと食ってるか?」

 画面の向こうにそう問いかけると、亜麻色の髪の少年がモニターの端に姿を見せた。被保護者のユリアン・ミンツである。
『食欲がないと言って、あまり召し上がらないんです。お酒ばかり飲んでます』
『こら、余計なことを言うな』
「気持ちは分かりますよ」
 アッテンボローは心からそう言ったものである。
「どこか、空気のいいところにでも旅行してきたらどうです?」
『そうしたいけど、なかなかそうもいかなくてね』
 ヤンは穏やかにそう答えたが、なぜだめなのかは言わなかった。
「もう少し落ち着いたら、また飲みましょう」
『ああ』


 しかし、事態はヤンの望まない方向へと進みつつあった。同盟の最高評議会は、帝国領への侵攻作戦を決定したのである。
「……例の件、決まりそうだ」
「そうなんだ……」
 はため息をついた。ここは例によって黒猫亭だが、さすがにあたりをはばかって声は低い。
「ここだけの話にしてほしいんだけど、どうやらすごい量の艦隊が出動するらしいぜ」
「すごいって、どれくらい?」
「……本国に残るのは第1・第11の二個艦隊だけだって話」
「本当に?」
「ああ。全同盟軍の6割が出動するんだそうだ」
 アッテンボローは准将であり、は少佐である。従って、彼らが得る情報の質と量には差があり、それをと会う口実にしているのは事実だった。

「でもさ、これって厳密には情報漏洩にならないの?」
「そうだな」
 アッテンボローはあっさり肯定し、は目を見張った。
「ちょっと……!」
「いいだろ、いずれも知ることなんだから」
「そうだけど……」
 そう言いながら、アッテンボローは平然とグラスを傾ける。浮かんでいたのは、実に人の悪い表情である。

は知りたくないのか?」
「知りたい、けど」
「じゃ、黙ってれば問題ない」
 密談はアッテンボローにとっても歓迎である。自然と声が低くなり、お互いの顔が近づくからだ。
「こんなこと言っていいか分からないけど……」
「いいぜ、遠慮しなくても」
「……不安しか感じないわ」
 はそう言って息を吐いた。
「おれもだ」
 しかし、ここでそう言っても始まらないのも事実である。は話題を変えた。


「そういえば、前に言ってた薔薇の騎士ローゼンリッター連隊の隊長だけど」
「どうした?」
立体TVソリビジョンで見たけど、なかなかいい男ね」
 何気ない言葉だったが、アッテンボローにとっては爆弾である。
「ワルター・フォン・シェーンコップ大佐だったか」
「ええ」
 確かに、シェーンコップは男から見ても長身で華のある容姿である。加えて薔薇の騎士ローゼンリッター連隊の隊長であれば、白兵戦技の達人なのは間違いない。いつの時代も、肉体的に強い男性に憧れる人――男性・女性を問わず――はいるものである。

「知らなかったな、はああいう男が好みなのか」
「そこまでじゃないけど、興味があるのは事実よ。少なくとも、帝国のローエングラム伯よりはずっと好みだわ」
「みんな似たようなこと考えててもおかしくない。ライバルが多そうだぞ」
「確かに」
 そう言って笑う様子を見る限り、本気ではなさそうだ。それでも、もちろんアッテンボローにとって楽しい話題ではない。
「そういえば内示が出てた。准将に昇進して連隊長から外れるって」
「でしょうね」
 これだけの功績を挙げて、昇進しないほうがどうかしている。

「あれ、ということはヤン提督も?」
「ああ、間違いなく中将に昇進だ。これでちゃんと一個艦隊の司令官だな」
 は笑った。何しろ今までは半個艦隊・・・・だったのである。そして、アッテンボローも話題が逸れてホッとしたものだ。
「すごいわね。この間、アスターテ会戦の功績で少将になったばかりなのに」
「そうだなあ」
 アッテンボローは何気なくそう相槌を打ったのだが、考えてみればアッテンボロー自身も准将なのである。ただ、幸いはそれについては言及しなかった。


「先輩、おれたちも第13艦隊に呼んでくれないかなあ」
 さりげなく一人称複数で呼ばれ、は顔をしかめた。
「ちょっと、わたしまで一緒にしないでよ」
「そうか? 先輩の下なら好き勝手できるぜ」
「そもそも軍隊で好き勝手しようってほうがおかしいでしょ」
「まあな」
 アッテンボローは苦笑いした。
は先輩の下で戦いたくないのか?」
「わたしは女性であることに偏見を持たない人の下にいられれば、それで満足なの。ウランフ提督にも不満はないし」
「先輩だってそういう偏見はないと思うけど」

「だいたいダスティは分艦隊司令官なのよ、好き勝手に異動できるわけないでしょ」
「分かってる」
 アッテンボローは頭をかいた。階級によって職分が変わるのは当然だが、アッテンボローの場合は一個艦隊を率いる中将になることが必要である。ということは、当分はどこかの艦隊の分艦隊司令官を務めなければいけないということだ。
「もし出動することになったら、も艦長としての初陣だな」
「……それはダスティも同じでしょ? おまけに分艦隊司令官だもの、わたしとは責任の重さが比較にならないわ」
「おれの話はいいよ」
 思いがけなく強い言葉が出てしまい、は動きを止めた。

「……ごめん、言いすぎた」
「ううん」
のオークⅠ号はおれの麾下じゃないからな。正直に言えば、いろいろ心配なんだよ」
 それはまぎれもない本音だった。
「そうねえ……。とりあえず、偵察に行かされずに済むことと、もし偵察しても敵と遭遇しないことを祈りたいわね」
「だよなあ」
 の乗艦は駆逐艦であり、偵察任務に使用されることもある。そして、そこで敵と遭遇した場合は速やかに撃墜される可能性が極めて高い。通信が途絶したことによって、艦隊は敵の存在とその位置を知るのである。

「もしおれの麾下にいたら、絶対にオークⅠ号には偵察任務をさせないんだが」
 その言葉には笑った。
「そういう公私混同はよくないわ」
「……そうだけど」
 うめくように答える一方で、できるならばそういった権力を使ってでもを守りたい気持ちも強いのである。もっとも、がそれを受け入れるかは分からないが……。
「駆逐艦の戦い方は分かってるな?」
「もちろん」
 考えてみればかなり失礼な質問だったが、は肩をすくめただけだった。

「じゃ、おれにできることはないか」
「ええ」
「何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってくれ。できる限り、力になるから」
 はまた笑った。
「ダスティはいつからそんなに心配症になったの」
「……だからだよ」
「失礼ね」
「悪い、そういう意味じゃない」
「分かってるわ」
 はそう言って笑った。


 宇宙暦796年8月12日。自由惑星同盟軍は、銀河帝国侵攻作戦会議において遠征人事を決定した。第10艦隊の分艦隊司令官ダスティ・アッテンボロー准将と少佐も、この作戦に従事することになる。




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