04

 シャトルで同盟首都ハイネセンの宇宙港に到着したは、その足で統合作戦本部へ向かった。まずは自分のオフィスに荷物を置き、新たに統合作戦本部長に就任したクブルスリーの元へ向かう。直接辞令をもらうのは佐官以上だが、それでも、当然ながらオフィスには人があふれていた。
(……それでも、個々で辞令をもらいに行けるだけの人しか生き残らなかったってことだわ)
 改めて、今回の大敗がいかに大きかったかを思い知るのだ。
 30分ほど待っての番がやってきたので、副官に呼ばれて執務室へ入る。
少佐、参りました」
「ご苦労」
 は背筋を伸ばして敬礼した。
を中佐に任ずる。同時に、イゼルローン要塞駐留艦隊への赴任を命じる」
「謹んでお受けいたします」
 はそう言って辞令と中佐の階級章を受け取り、一礼した。たいていはここで一言あって終わりである。

「ところで中佐、きみを旗艦の艦長に迎えたいという声があるのだが、その気はあるかね」
「……はい?」
 は軽く眉をひそめた。どうも嫌な予感がするのは気のせいではない。というより、嫌な予感しかしないのが正直なところである。
「ちなみに、ここでナインと言う権利が小官にあるのでしょうか」
「嫌なことを無理強いはできまい」
「その代わり、何らかのペナルティを受けると?」
「当然だろう。それが軍隊と言うものだ」
 そう言いながら、はもうとっくに発言者の見当がついていた。軽口を叩いたのは単なる時間稼ぎである。
「はっきり言おうか? ヤン大将とアッテンボロー少将が連名で、きみをアッテンボロー少将の旗艦の艦長として迎えたいという推薦があった。丁寧にも、アムリッツァ会戦できみの駆逐艦の運航データ付きでな」
「…………」
「私もデータを見させてもらったが、実に見事なものだった。ぜひ、アッテンボロー少将の力になってやってほしい」

 は深呼吸した。
「……大変申し訳ありませんが、少し考えさせていただけませんか」
 その言葉に、クブルスリーが目を見張る。
「悪い話ではないと思うが……。いつまで待てばいい?」
「イゼルローン要塞に着くまでに、必ずお返事いたします」
「分かった。他に何か知りたいことはないかね?」
「ありません」
「では、下がってよろしい」
「失礼いたします」
 が執務室を出ると、クブルスリーは副官を呼んだ。
「アッテンボロー少将を呼んで来てくれ。今の話を伝えねばならん」


 クブルスリーの執務室を出たは、もはや不機嫌を隠そうともしなかった。それどころか、氷の嵐ブリザードを身にまとっているかのような様相である。その足で向かったのは事務管理本部だった。
「お疲れさまです、中佐ですが」
「は、はいっ」
 飛ぶように近づいてきたのは例のハットンであった。まずは襟元の少佐の階級章を外して返却する。
「問題の資料は」
「こちらに用意してありますっ」
 カウンターに用意してあったのは数枚の光ディスクであった。
「今ここで決めることは?」
「と、とりあえず家を決めていただけるとっ。佐官の居住区はこちらですっ」

 そう言って、先ほど差し出したパンフレットを提示する。
「どこが空いているの?」
「希望を言っていただければ、調べてまいりますっ」
 とは言っても、初めて行く場所なのである。希望も何もないが……。
(そうだわ)
 はあることを思いつき、ある一点を指した。
「ここは空いてるかしら」
「お待ちください、すぐに調べてまいりますっ」
 実際にが待っていたのはわずかだった。
「はい、問題なく空いていますっ。他に何か知りたいことは……」
「特にないわ、頑張って」
「へ?」
 ハットンが呆然としているうちに、は背を向けて事務管理本部を出た。


 そのころ、アッテンボローはクブルスリーに呼ばれて冷や汗を流していたものである。
「……保留した?」
「ああ、悪い話ではないと言ったんだが」
「そうですか」
 はっきり言って、それは予想外の事態だった。
「きみは中佐に艦長の話をしていなかったのかね?」
「……はい」
「それは根回し不足だな」
「申し訳ありません……!」
「私は別に困らないよ。困るのは貴官だろう」
 その通りである。
「イゼルローンに着くまでに必ず返事をすると言っていたが、あの様子じゃ断ってもおかしくないな。代わりの人選も考えておく必要がある」
「……かしこまりました」
 まさかそうなるとは思っておらず、アッテンボローはがっくりとうなだれたままクブルスリーの執務室を出た。


 一方のは事務管理本部を出ると、その足で幼なじみの少将閣下の執務室に向かった。相変わらず、さながら全身から直径1メートルほどの氷の嵐ブリザードを吹かせている様相である。
「アッテンボロー提督にお目にかかりたいのですが」
「……失礼ですが」
中佐が来たとお伝えください」
「お約束はしておられますか?」
「いいえ」
 その声は弱くはなく、待たせるなら待たせてみろと言わんばかりの強いものだった。
「聞いてまいります。少々お待ちください」
 小柄な副官がそう言って執務室の中に入って行くのを見ながら、は軽く息を吐く。
「お会いになるそうです。どうぞ」
「ありがとう」
 考えてみれば、同じ第10艦隊でも仕事上で特に関わりがなかったため、がこの執務室に入ったのは初めてである。

「二人だけにしてくれ」
「かしこまりました」
 副官がそう言って出て行くと、アッテンボローは明らかに焦っていた。完全に準備を整えて来たとは違い、アッテンボローはさながら不意打ちを喰らったていである。何か言わなければいけないが、何を言っていいか分からない――と言いたげな様子がよく分かった。
「イゼルローンまでの巡航艦の切符をお持ちいたしました。ご確認を」
 つかつかとデスクまで歩み寄り、切符を差し出してから、はすぐに意識してデスクから離れる。

、いやあの」
「今のように、今後小官をファースト・ネームで呼び捨てにされた場合、国防委員会と統合作戦本部に閣下からセクシャル・ハラスメントの被害を受けたと申し立てます。その場合、資料としてプライベートの端末も提出いたしますので」
 今までにないの反応に、アッテンボローは顔から血の気が引くのがはっきり分かった。
「イゼルローンに出発するまでの間、先日のように私用の端末に連絡を入れた場合も同様の対応を取りますので、そのつもりでいてください。小官は体調が悪いので、今日はこれで失礼いたします」
 言いたいことだけを言って踵を返したに、慌てて声をかける。

「ちょっと待ってくれ、
 足を止めて振り向いたは、今まで見たことのないくらい冷たい目をしていた。なまじ美人なだけにその迫力はすさまじい。
「……閣下、今すぐセクシャル・ハラスメントの被害申し立てをしてほしいのですか? 小官はそれでも構いませんが」
「いや、それは」
「失礼いたします」
 今度こそ、は返事を待たずに早足で執務室を出た。
「……………………」


 は自分のオフィスに向かいながら、意識して表情を和らげる。
「お疲れさまです、艦長」
「ええ」
 駆逐艦の乗員のオフィスは大部屋の一角だ。考えてみれば、この机からも荷物を引き上げなければならない。は小さくため息をつく。
「いかがなさいました?」
「……いえ、何でもありません。失礼いたしました」
 掌紋で端末を起動させ、急いで処理しなければいけないものがないかを確認するが、特には見当たらない。
「申し訳ありませんが、今日は帰ります」
「お疲れさまでした」
 部下たちにうなずき、は迷わず席を立った。


 時刻は昼過ぎである。は3ヶ月ぶりに自宅に戻った。とにかく艦長室から引き揚げた荷物を片付け、引っ越しはしないまでもイゼルローン赴任に向けて荷造りをしなければならない。
 ホーム・コンピューターを設定しておいたおかげで、少なくとも部屋は埃まみれではなかった。とりあえずメイクを落とし、軍服を脱いでTシャツとジーンズに着替える。荷物の整理の前に、コーヒーを淹れた。そうなると、どうしても考えることは先ほどの辞令についてである。
「旗艦の艦長、ねえ……」
 冷静に考えれば、確かに悪い話ではない。ただし、だからといってすぐに飛びつくのも危険だった。メリットとデメリットを考えるうちに思考は飛躍し、そもそも幼なじみの今の地位はどうなのかとまで考えたのだが……。

(ま、わたしがそこまで考える必要はないか)
 意見を求められたら言ってもいいかもしれないが、現時点でそこまで考える必要はないだろう。はそう結論づけ、この件を頭から追い出した。
(さて、どうしよう)
 3ヶ月間家を空けていたので、食べるものも少ない。それに、これからまたイゼルローン要塞まで1ヶ月近く巡航艦に缶詰めになるのだから、少なくとも地上でなければできないこともしておきたかった。
(とりあえず、髪でも切ろうかしら)


 一方のアッテンボローは、その日、が来てからのことをあまり覚えていない。おそらく副官の言うがままに書類にサインをし、気がついたら当面の食べ物と酒を持って家に帰ってきていた。3ヶ月ぶりの帰宅なのにホーム・コンピューターをセットし忘れたせいで、思わずくしゃみが出る。
(ああもう)
 乱暴に端末を操作しながら、頭に浮かぶのはのことばかりだった。
(しかし、あんなに怒ることか!?)

 前哨戦とそれに続くアムリッツァ星域会戦の後、アッテンボローはのことが心配でたまらなかった。だから、とにかく無事を確認したくてが通信に出るまでしつこく私用の端末に連絡し続けたのだが、まさかそれがこういう形で返ってくるとは。
(あれからちょっとは時間が経ったし……。多少は頭も冷えたかな)
 そう考えて端末を手に取るが、すぐに手が止まる。それが予想ではなく願望だと気づいたからだった。少なくともアッテンボローにはがあそこまで怒った記憶はなく、たかだか数時間で怒りが冷めるとはとても思えない。
(どうすればいいんだろうなあ……)
 官舎の天井を見上げて、辺りをはばかることなく大きなため息をつく。このままでは恋人どころか、友人関係さえも破綻しかねない危機だった。


 そんな中でもやるべきことはやらなければならない。アッテンボローは申し訳程度に実家に顔を出した後、シルヴァーブリッジ街にあるヤンの官舎を訪れた。チャイムを押すと、顔を出したのはユリアン少年である。
「先輩は……」
「出かけてます。少々お待ちください」
 ヤンから話を聞いているらしく、家の奥へと踵を返す。家の中はいつも通りだった。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。ユリアンも先輩とイゼルローンに来るんだっけ」
「もちろんです」
 差し出された少将の軍服を受け取りながら、首をかしげる。

「引っ越しはしないのか」
「ヤン提督が、しなくていいとおっしゃいました」
「そうか。単に面倒だからじゃないよな?」
 念のためそう言うと、ユリアンが笑う。
「さすがにそれはないと思いますよ」
「だよなあ」
 つられて笑っても、何となく心は晴れない。さすがにユリアンもアッテンボローの様子がいつもと違うことに気づいたようだった。
「あの、アッテンボロー提督……」
「先輩によろしく伝えてくれ。じゃ、またイゼルローンで」
「……分かりました」


 どんな思惑で過ごしていても、時は過ぎる。あっという間に短い同盟首都ハイネセン滞在は終わりを告げ、イゼルローンへ出発する日がやってきた。アッテンボローが支度を整えて宇宙港にやってきたのは、搭乗開始よりもずっと前の時刻である。この数日、には一切連絡をしていない。
 ただ考えてみれば、以前はこれくらい連絡を取らないことも普通だったのである。心配だったのに加え、業務連絡にかまけて連日のように連絡を取っていたから、余計に反動が大きいのだろう。
(完全に禁断症状が出てるな)
 自嘲的にそんなことを考えてしまう。どんなに不機嫌でもいいから顔を見たい、それがだめなら声だけでも――と考えていたところに、聞き覚えのある声がかけられた。

「アッテンボロー少将じゃありませんか。このたびは昇進おめでとうございます」
 声の方向を見ると、軍服姿の二人の男性がアッテンボローに敬礼をしていた。どちらも背は高いが長身と言うほどではなく、引きしまった身体つきをしている。傍らにスーツケースがあるところを見ると、もしかして……。
「ポプラン少佐とコーネフ少佐じゃないか。貴官らもアトラスⅤ号でイゼルローンに?」
「ええ。これから3週間、よろしくお願いします」
「……ああ」
 アッテンボローが答えたのは、うめくような声だった。


 出発時刻が刻一刻と近づいても、は姿を見せない。
(まさか、巡航艦を変更してないよな?)
 だとしたら万事休すである。いよいよ搭乗開始のアナウンスが流れると、二人の撃墜王エースたちはすぐに列に並ぶ。
「アッテンボロー少将はお乗りにならないので?」
「人を待っているんだ」
 そう言いながらも気が焦る。結局、が大きなスーツケースを持って姿を現したのは出発ぎりぎりの時間だった。
(……よかった)
 思わずホッとして表情が緩んでも、の表情はまったく変わらない。
(ま、おれが待ってることくらい予想してただろうが)

「おはようございます、アッテンボロー提督」
「ああ、おはよう」
「失礼いたします」
 の態度はアムリッツァ会戦前に統合作戦本部で会ったときと全く同じだった。つまり、礼儀は完璧だが親しさはゼロである。
 その華奢な後姿に続いて搭乗ゲートをくぐろうとしたとき、いつも背中でまとめられている髪が短くなっていることに気づく。
(やれやれ)
 そう期待していたわけではないが、どうやら状況に変化はないようだった。


 巡航艦の船室は男女別になっており、基本的には二人部屋である。アッテンボローの同室者は30歳くらいで黒眼黒髪の穏やかそうな青年であった。ちなみに、隣の部屋は二人の撃墜王エースたちである。
「アッテンボロー少将でいらっしゃいますね? イゼルローン駐留艦隊の参謀を拝命いたしました、ラオと申します。以後、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
 そう言う声にも、どこか力はない。
「どうかされましたか?」
「……いや、とりあえず放っておいてくれ」
「かしこまりました」


 そしての同室者は、女性というより少女の面影が残る栗色の髪と瞳をした若い士官だった。
「少尉のクララ・ルーデルです。イゼルローンまで、どうぞよろしくお願いいたします」
 全身から緊張していますと主張しているようで、は苦笑せずにはいられない。
「ルーデル少尉、今は通常の移動で戦闘中じゃないのよ。そんなに緊張する必要はないわ」
「はい、でも……」
 年齢がさほど離れているわけではないが、それでも少尉と中佐である。自分がルーデル少尉の立場でも同じくらい緊張するだろうなと思いながら、それでも、は立場上こう言わなければならないのだ。何しろ、も数年前までは同じ立場であったからである。
(ということは、この巡航艦にいる女性士官は2人だけかもしれないわね)

「いいから。もしかして、士官学校を卒業したばかり?」
「……そうです」
(なるほど、緊張するわけだわ)
「あの……」
「何でしょう」
 荷物の整理をしようとスーツケースを開けかけたところで、遠慮がちに声がかけられる。
中佐は、アムリッツァ会戦でご活躍されたとうかがいました」
 はまた苦笑した。
「活躍だなんてとんでもない。何とか部下を生き延びさせただけです」
「……それでも、すごいです」
「ありがとう」
 はそう言って微笑んでから、改めて荷物の整理を始めた。


 アトラスⅤ号が無事に惑星クレーメンの宇宙港を出発してしばらくすると、ラオとアッテンボローの船室にある訪問者が訪れた。
「……何でしょう」
「さあ……。どうぞ」
 とりあえずそう声をかけると、姿を現したのはもう退役も見えようかというベテランの士官だった。こちらも、見るからに緊張している。
「アトラスⅤ号艦長のマルケーゼ少佐であります。このたびは少将閣下が乗艦しておられるとは知らず、ご挨拶が遅れましたことをお詫び申し上げます。その他、何かご要望がありましたら何なりとご用命ください」

「ありがとう。……いや、でもそんなに気を遣わなくても」
 ぽろりともれたのはアッテンボローの本音である。
「いえ、そういうわけにはまいりません。ラオ中佐どのも、どうかごゆっくりお過ごしください」
「お気遣い、ありがとうございます」
「では、失礼いたします」
 敬礼を残してマルケーゼが去ってから、アッテンボローは苦笑しながらラオを見た。
「おれはそんなに気を遣わなきゃならない人間に見えるのかな」
「出世が早いというのも、なかなか大変ですね」
「ああ」


 出発して数時間後には、巡航艦での最初の食事の時間となった。
(どうしよう)
 アトラスⅤ号に限らず、軍の設備は士官用と下士官用に区別されている。ただ、下士官が士官用の設備を使うことはできないものの、逆は可能だった。
 士官食堂に行けば当然ながら幼なじみと顔を合わせるだろうが、間違いなく空いている。一般食堂は混雑はしていても、顔を合わせる可能性は極めて低い。まあ、この状況で食事に時間がかかってもそれは大した問題ではないが……。

(とりあえず士官食堂に行こうかしら)
 あまりに気づまりだったら、次からは一般食堂を使えばいいのである。多少大げさに言えば覚悟を決めて士官食堂に向かったところ、そこには4人の男性がいた。この時期にイゼルローン要塞へ向かうからには関係者に違いなく、それはすなわち広い意味での今後の同僚たちということになる。
 ちなみに軍で初対面の人間に会ったときには、階級が下の人間から名乗ったり、敬礼する必要がある。そのため、顔の次に軍服のデザインか襟元の階級章に視線が向くのはもはや習性といっていい。
(えーと……)
 どこに座ろうかと考えていたら、意外な声が響く。

「何ということだ。おれとしたことが、こんな美人が乗艦していることに気づかないとは……!」
 芝居がかった台詞だが、不思議とそう違和感はない。面喰らったに、声の主は勢いよく立ちあがって名乗った。
「お初にお目にかかります。イゼルローン要塞駐留艦隊 第一空戦隊長、オリビエ・ポプラン少佐であります」
 そして、その隣の人物も立ち上がって敬礼する。
「同じく第二空戦隊長、イワン・コーネフ少佐です」
「以後、お見知り置きを。プライベートでもぜひ」
 最初に声をかけてきたポプランが緑の瞳で、コーネフが明るい色の髪と瞳のすっきりした顔立ち。
(空戦隊のポプラン少佐ってことは、確か……)
 そして、その場にはが初対面の人物がもう一人いる。
「イゼルローン駐留艦隊の参謀を拝命いたしました、ラオと申します」
「……中佐です。こちらこそ、よろしくお願いします」
 
 どうやらこの場にいる最上位者は彼女の幼なじみらしい。そのアッテンボローに向けては、軽く会釈をしただけである。
「こちらへどうぞ」
「……ありがとうございます」
 ためらいながらもが座ったのはポプランの隣で、アッテンボローの斜め前だった。
「アッテンボロー少将は挨拶をなさらないので?」
中佐のことは、昔からよく知っている」
「士官学校の同期なんです」
 それは事実であったが、事実の全てではない。ただ、ここで全てを説明する必要もなかった。

「ほう? 昔から美人でしたか?」
「ああ」
 思いのほかあっさりとアッテンボローはポプランの言葉を肯定し、はついアッテンボローを見た。
「……何をおっしゃいます、少将閣下」
「美人で成績優秀で性格も悪くない。それなのに男の影がまったく見えないのはなぜかって、よく噂になってたもんさ。今でもそれはあんまり変わらないみたいだが」
「それは確かに興味がありますね」
 はまともに不意打ちを喰らった。顔に血がのぼったのがはっきり分かる。
「…………」

 ちょうどそのとき、男性陣が注文した料理が運ばれてきた。ついでにも希望のものを注文する。男性陣の注意がわずかでも逸れた隙に、何とか態勢を立て直す必要があった。
中佐、真相はどうなんですか?」
「え?」
「もし男嫌いなのでしたら、おれが治してさしあげますよ」
「いえ、あの……」
 は頭を振り、立ち上がった。
「大変申し訳ありませんが、失礼します」
 こんなところにいたら精神がもたない。注文したばかりの料理は後で取りに来ることを厨房に告げ、は足早に士官食堂を出た。

「……行っちゃいましたね、残念」
 ぽつりと呟いたのはポプランの本心だろう。
「というか、アッテンボロー提督は中佐とどんな関係なんです? もしかして、搭乗口で待ってたのも彼女ですか」
 アッテンボローはその質問には答えなかった。
「だから、士官学校の同期だって」
「それだけであんなに動揺するもんですかね」
 今度はコーネフがそう呟く。アッテンボローは黙っていたが、その口元には笑みが浮かんでいた。とりあえず、先手を取ったのは間違いない。


 なんとなく気詰まりな雰囲気を察してか、ラオは話題の転換を図った。
「しかし、今回は無茶なスケジュールでしたなあ。同盟首都ハイネセンに戻って数日でイゼルローンに引っ越しとは」
「ええ、本当に」
控えめに同意したのはコーネフである。
「階級が高いからといって、同盟首都ハイネセンからイゼルローンまでの時間が短縮されるわけではありませんからね。少将閣下もおれたちと同じ苦労をしたことでしょう」
 ポプランが意地悪くそう言うと、アッテンボローはそれに負けないくらい意地の悪い笑みを浮かべた。
「おれは引っ越しをしていないんだ。荷物は同盟首都ハイネセンに置いてある」

「……なぜですか?」
「最初は引っ越ししようとしたんだが、落ち着いて考えみたんだ。同盟軍はいつまでイゼルローン要塞を保持するかってね。もし帝国軍に攻撃されて要塞を放棄するような事態になれば、円満に退去できるとは限らないじゃないか。これもひとつの危機管理だ」
 アッテンボローは得意げにそう言ったが、実のところこれは大半がからの受け売りである。もし彼女がこの場に同席していたら、とてもこんな態度ではいられなかっただろう。
「……なるほど」
「さすが、20代で将官になられた方は違いますな」
 アッテンボローはどこか苦笑いしていたのだが、ふと司令官その人も自分たちと同じように引っ越しをしていないことに気づく。
(先輩に状況を報告しがてら、後でちょっと聞いてみたほうがいいかもしれないな)


「そういえば、第8艦隊に所属していた戦艦ユリシーズのこと、知ってます?」
 そう言い出したのはポプランである。
「ああ、確かトイレが壊されたっていう……」
 ラオが答えると、アッテンボローも笑った。
「そんなことがあったのか」
「ええ。乗員たちには不本意でしょうけどね。記録上は『軽微だが深刻な損傷』だったそうです」
「見事に矛盾してるな、それ」
その場にいた全員が笑う。アムリッツァ会戦の敗北は深刻であり、そんな中でも確かに笑い話だった。ラオの言う通り、乗員たちには不本意だろうが……。


「それから帝国で皇帝が死んだとか」
「ラオ中佐は情報通だなあ」
「いえいえ」
「……アッテンボロー少将、普通にニュースでやってましたけど」
「そうか」
 この数日、アッテンボローはニュースを見るどころではなかったのであり、さすがに赤面した。
「で、新しい皇帝は?」
「5歳の幼児だそうです」

傀儡かいらいだな」
「ええ」
 誰が聞いても同じ感想を持つようで、またその場にいる全員がうなずく。
「ん? ということは、帝国はしばらく権力争いが続くのか?」
「……おそらくは」
「そうか。じゃ、少なくとも多少の時間は稼げるわけだな」
 現在の同盟軍にとっては、不幸中の幸いと言っていいだろう。このとき傀儡と呼んだ皇帝が彼らにとって大きな影響をもたらすのは、まだしばらく先のことである。






 ポプランとコーネフの二人は大好きなのですが、特にコーネフをちゃんと書けてる気がしません……。ファンの方、すみません。
2019/4/9up
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