12

 12月5日、アッテンボロー分艦隊がイゼルローン要塞に着任して初めて艦隊運用演習の日である。演習に先立って、いくつかの儀式が行われた。
「おはようございます。新しく戦艦メイヴの艦長に就任しました、中佐です」
 艦橋にいる乗員の視線は全てを向いている。この場にいない乗員たちには、モニターを通じての声と姿が届いているはずだった。
「みなさんはわたしを見て驚いているかもしれませんね。ご覧の通りわたしは若輩で、前任は駆逐艦の艦長です。アムリッツァ星域会戦の後、アッテンボロー提督に分艦隊の旗艦の艦長を頼むと言われたとき、すぐには返事ができませんでした。わたしにそんな大役が務まるかどうか、不安だったからです」
 言葉の内容とは裏腹に声はさほど不安そうではないのだが、もちろん計算の上である。

「それでも依頼を受けたのは、現在の同盟軍に余裕がないのは明白であることと、能力を買われて求められることは、逆よりもよほど幸せだと思ったからでもあります。微力ですが、わたしにできることはやろうと決意しました」
 穏やかなの声が艦橋に響く。
「ここには三種類の乗員のみなさんが乗っています。まず、もともと戦艦メイヴに乗っていた方々。みなさんは間違いなく、メイヴの乗員の中核になるでしょう。引き続き、よろしくお願いいたします」
 は一度言葉を切った。
「それから、駆逐艦オークⅠ号から異動してきたみなさん。また一緒に戦えることを、本当に心強く思っています。こんなわたしについてきてくれてありがとう」
 言葉が終わると同時に、艦橋で旧オークⅠ号の乗員たちから小さな歓声が上がる。
「最後に、第13艦隊から異動されてきた方々。ヤン提督の魔術師ぶりをいちばんよくご存じなのはみなさんです。今までとは違うこともあると思いますが、なるべく一方だけが我慢することのないよう、できる限り調整したいと思っています」

 ゆっくりと艦橋を見渡し、最後に付け加える。
「戦艦を一人で動かすことはできません。みなさんの協力があって初めて、動かせるのです。わたしはみなさんと生き残ることを最優先に艦体を動かすことをお約束します」
 そう言ってから、はちらりとアッテンボローを見た。
「戦艦メイヴは旗艦です。したがって、みなさんには分艦隊の見本となる行動を取っていただく必要があります。気を引きしめて任務にあたりましょう。これから、よろしくお願いいたします……。以上です」
 が言い終わると、誰からともなく艦橋に拍手が沸き起こる。司令席にいたアッテンボローは舌を巻くと同時に苦笑した。

「まずい」
「……いかがなさいました?」
 アッテンボローの呟きにストリギンが反応する。
「内容といい長さといい完璧じゃないか。このスピーチの後でおれは何を言えばいいんだ、まったく。ろくに考えてないぞ」
「そちらのほうが問題では……」
「分かってる」
 同じく控えめに口を挟んだのはラオである。ちなみには幕僚たちがそんな会話を交わしているとは知らないが、事態は察していた。アッテンボローのスピーチが始まらないので、インカムで司令席にこう呼びかける。
『アッテンボロー提督、演習の概要をご提示願います』
「分かった」
「……艦長は気が利きますね」
「ああ」
 艦長席から司令席は直接見えないのである。催促されるのも気まずいので、アッテンボローは立ち上がった。
「では、これから演習の概要を提示する」


 そうして実際に艦隊運用演習は始まった。アッテンボローの見る限り、の艦体運用は初めて戦艦を動かしたにしては上出来だった。基本的な動きを繰り返し、分艦隊全体の動きを観察する。
(うーん……)
 ちらりと様子を見る限り、ラオの表情も厳しかった。
「よし、昼の休憩にしよう。艦長、全艦に通信してくれ」
「かしこまりました」
 艦橋の二階部分から身を乗り出すようにしてそう言うと、はうなずいた。
「それから、ラオ中佐と艦長はおれと一緒に士官食堂に来てくれるか。そこで打ち合わせをしよう」
「……承知いたしました」
 今度はラオがそう答えた。


 三人で連れ立って戦艦メイヴの士官食堂に行くと、アッテンボローは迷わずにいちばん奥の席へ座った。
「……ここが提督の指定席ですか?」
「ああ」
「失礼いたします」
 あくまで敬語を崩さないに、アッテンボローが苦笑いする。
「艦長……。ここはラオ中佐とおれしかいないんだ。気を遣う必要はない」
「ですが……」
「大丈夫、声を小さくすれば他のメンバーには聞こえないよ。艦長が普通に話してくれるのがおれの癒しなんだ、頼む」
 はラオを見た。
「あ、小官でしたらお気になさらず」
「いいだろ?」
 重ねて問われ、は苦笑いとともにうなずいた。
「分かったわ」

「まずは注文だな」
「ええ」
 簡単なメニューをさっそく繰る男性二人に、は軽く首を横に振る。
「どうした?」
「……あんまり食欲がないの。ゼリー飲料だけにしておくわね」
 その言葉に、アッテンボローはじっとを見た。
「そういえば、顔色もよくないな。大丈夫か?」
「うん。緊張してるだけかも」
「この状況では当然ですね」
 ラオも同意してくれたので、はホッとしたものである。
「無理するなよ」
「ええ」

「で、率直にどう思う」
 すぐに注文を済ませ、アッテンボローは改めてとラオを見た。
「ひどいと思います」
「……小官も同感ですね」
 3人で顔を見合せながらうなずき合う。
「おれもだ。最初からうまく行くとは思ってなかったが、それでも予想より悪いな」
「意外と艦隊によって細かい行動基準が違ったりして……。わたしはずっと第10艦隊所属だから、よく分からないけれど」
「あり得ますね」
「ああ、艦長の言うとおりだ。これじゃ分艦隊とも言えない」
 その言葉には危機感がにじんでいる。
「焦りは禁物よ」
「分かってる。でもなあ……」

「ちなみに、アッテンボロー少将が初めて分艦隊司令官になったときはいかがでした?」
 気分を変えるようにラオが聞くが、アッテンボローはまた苦笑している。
「おれは、ある程度の練度がある分艦隊に着任したんだ。言ってみれば、今の艦長と同じような立場だな」
「なるほど」
「ということは、提督も艦隊運用の精度を上げる演習は初めてなのね」
「その通り。ま、この問題が出てきたのが今でよかったけど」
「……どういうこと?」

「前の艦長とこんなふうに膝を突き合わせて相談するなんてまっぴらだったからさ。今の艦長なら大歓迎だ」
「……そうですか」
「少将はポジティブでいらっしゃいますねえ。これも艦長の……中佐のおかげでしょうか」
「ああ」
「……認めないでよ」
「事実を認めて何が悪い」
 とうとうアッテンボローが開き直ったところに、士官食堂のスタッフが食事を運んでくる。
「ありがとうございます。あ、お二人は遠慮なさらず」

 はそう言って微笑んだ。
「では、いただきます」
 午後からやるべきことを確認していれば、時間はあっという間に過ぎる。
「大丈夫か? 何なら艦長室で横になってもいいんだぜ」
「ううん、そこまでじゃない」
「そうか。何かあったら、すぐおれに言うんだぞ」
「ありがとう」


 午後からの訓練では、演習の手順についてが首をかしげるできごとがあった。あらかじめ聞いていた演習を一つ飛ばしたような気がしたのである。ちらりと司令部を見上げても、特に変わりはない。そこにベイリーが近づいてきて、やや声を低めながらこう進言した。
「……艦長。少将は手順を一つ抜かしてらっしゃいますよね?」
「わたしもそう思いますので、今から提督に確認します」
「え?」
 ベイリーは明らかにとまどっていた。
「気づかなかったならともかく、気づいていて進言しない理由はどこにもありません」
 はそう言い切った後、インカムをセットした。
「アッテンボロー提督、失礼ながら申し上げます。小官には、演習の手順を一つ飛ばしているように思えるのですが」

 その声はあくまで穏やかだが、ベイリーやノールズを含めた艦橋の乗員たちはどこか不安そうな顔でと艦橋の階上部分を交互に見つめていた。彼らは以前からこういった状況を多く経験しているのである。
 この状況でいちばん平然としていたのはだったに違いない。ピンと張りつめていたような空気の緊張は、アッテンボローの一言で明らかに緩んだ。
「……失礼、艦長の言うとおりだな。おれが間違っていた」
 それは、アムリッツァ会戦前には絶対に聞かれなかった言葉であり、もともとメイヴに所属している乗員たちは明らかにざわめいた。
「みなさん、お静かに。では提督、改めて指示をお願いいたします」
「ああ、ありがとう。これからも気づいたことは何でも言ってくれ」
「かしこまりました」
 は微笑んだ。


 そして、事件は訓練の終了間際に起こった。
「アッテンボロー少将、艦長が……!」
「どうした?」
 二階部分から身を乗り出すだけでは様子が分からない。いてもたってもいられず、アッテンボローは階段を駆け降りた。年配の士官が艦長席に歩み寄っており、艦長席にいるは、明らかに顔色が蒼白だった。
「艦長……!」
「大丈夫です」
 は頭を振ってから、そう言った。顔色とは裏腹に、声はしっかりしている。
(だから今まで気づかなかったのか)

「そんな顔色で何言ってるんだ、今すぐ医務室に……」
「平気です。もう少しで訓練が終了ですから、それまではここにいます。座っていれば特に問題はありません」
「昼休憩のときからちょっと顔色が……」
「大丈夫です」
 アッテンボローの言葉はの強い言葉と眼差しによって中断を余儀なくされた。経験上、こういうときの彼女が一歩も退かないのはよく分かっている。
「……分かった。演習を続行する」
「ありがとうございます。提督、司令席へお戻りください」
「ああ」
 しぶしぶそう答えてから艦橋を見渡すと、当然ながら乗員はみなこちらをうかがっていた。
(無理もないな)

 
 そうして演習は実行された。いみじくも艦橋を見にきたときアッテンボローが言った通り、司令席からは艦長席の様子がなかなかうかがえないのがもどかしい。
「では、これで今日の訓練を終了、イゼルローン要塞へ帰投する。艦長、全艦に通知してくれ」
「かしこまりました」
(こういう声は普通どおりだから、気づかなかったんだよなあ)
「それと、艦長はちゃんと医務室へ行くように。一人で行けるか?」
「お気遣い、ありがとうございます」

 は毅然とそう言って立ち上がったが、やはりと言うべきか、やや足元はおぼつかないように見える。先ほどではないにしても急いで階段を下りたとき、そのと目が合った。
(……つまり、絶対に一緒に来るなってことか)
 ここでが何を言いたいか、分からないはずがない。アッテンボローは仕方なく軽くうなずいた。この場所はさほど目立つ場所ではないので、は意識して表情を和らげたようだ。
「副長、イゼルローンまで艦長業務を頼む」
「かしこまりました」


 のいない艦橋は、アッテンボローにとって急に色褪せたかのようである。ふとあることに気づき、アッテンボローは最初にの異常に気づいた士官へと近づいた。その顔には見覚えがある。
「えーと、貴官は……」
「ペトルリーク大尉であります、アッテンボロー少将」
「そうか」
 イゼルローン要塞に向かう途中に艦橋人事を話し合った際、が真っ先に名前を挙げた士官である。
「参考までに聞かせてほしい。艦長はいつもこうなのか?」

 少なくとも、これはアッテンボローが間違いなく知らない部分だった。
「……少なくとも、ご自分から体調が悪いとおっしゃらないのは事実です。アムリッツァのときも、戦いの後は二回ともひどい顔色で……。こちらから強く勧めて、ようやく休まれました」
「そうか」
 ペトルリークの言う戦いの後、アッテンボローは実際にと通信で話したのである。
「ありがとう。おれも気にしているが、引き続き頼む」
「……かしこまりました」
 何気ない言葉の意味を、アッテンボローは気づいていない。


 どうしようか迷ったのは事実だが、結局、アッテンボローは医務室に行くことにした。あとはイゼルローン要塞に戻るだけなので、このまま司令席に座っていても特にやることはないのだ。
「医務室に艦長の様子を見てくる。何かあったら連絡してくれ」
「かしこまりました」
 こういうとき、自分がトップだと誰かの許可を得ずに済むのがメリットである。アッテンボローは階段を降り、艦橋を出て医務室に向かった。
「アッテンボロー少将!」
 思わぬトップの登場に、看護師が慌てて軍医を呼びに行った。すぐに顔を出した軍医のアマギ少佐も敬礼する。すぐに答礼してから、アッテンボローは本題を切り出した。

「艦長が来てるだろう」
「はい」
「どこにいる?」
 その問いは詰問に近かったが、答えは簡単に得られた。医療スペースの中はカーテンで区切られ、ベッドが10ほど置かれているのだが、そのうち、カーテンが閉まっていたのは一つだけだったからである。その中に、アッテンボローはいくぶん声を和らげて声をかけた。
「おれだ、入ってもいいか?」
「……どうぞ」
 艦橋同様、その声はしっかりしている。アッテンボローがその中に入ると、がベッドの上で半身を起こそうとしているところだった。

「いいから、気にしないで寝てろ」
「……うん」
 無理をさせるのはアッテンボローの本意ではない。こうしてそばで見ると、確かに顔色が悪い。その上、目も赤かった。
(泣いたか)
 充分に考えられることである。ただ、言っても仕方のないことなので、アッテンボローはそれについては触れなかった。
「……体調、悪かったんだな?」
「うん」
「いつから」
「朝から。薬は飲んでたんだけど……」
「結局、何だったんだ」
「貧血だって。あと、頭痛がするの」
「そうか」

 医療スタッフが耳をそばだてているのは充分に予想できたが、幸い、彼らには守秘義務がある。したがって、遠慮する必要はない。アッテンボローは横になっているに小さく声をかけた。
……。寝てろって言っておいて悪いが、やっぱり起きてほしい。大丈夫か?」
「それは、平気だけど」
「よし」
 今ひとつ意図が分からないらしいの背中に手をかけて半身を起こすと、アッテンボローもベッドに座った。そのまま、ぎゅっと抱きしめる。
「……無理するなって言ったじゃないか」
「ごめんなさい……」
「体調が悪いならちゃんと言ってくれ。おれは無理でも、乗員の幹部連中に声かけてフォローさせる。突然不調になったならともかく、今みたいに、あらかじめ自覚してたのに不意打ちで具合が悪くなるのは勘弁してほしいんだ」

「……ごめんなさい」
 もう我慢できなくなったのだろう、の琥珀色の瞳から涙があふれた。
「自分が情けないわ」
、勘違いしないでくれ。おれは具合が悪くなったことを怒ってるんじゃない。具合が悪いのを隠してたことに怒ってるんだから」
「……うん」
 そう言いながらの顔に唇を寄せる。
「やだ、メイクが落ちちゃう」
「……そっちかよ」
 まあ、メイクの心配ができるくらいの余裕があるのはいいことである。

「改めて約束な。具合が悪かったら、あらかじめおれに言うこと。の体調が悪いと、おれも指揮に専念できないんだから」
「……ごめんなさい」
 それでも、の表情はだいぶ落ち着いていた。
「イゼルローン要塞に着くまでに、何とか艦橋に戻れるか?」
「ええ」
「分かった。でも無理するなよ」
 最後に音を立てずに唇を重ねる。
「じゃ、おれは戻る」
「わざわざ来てくれてありがとう」
 がそう言って微笑んだのを確認し、アッテンボローは医務室を後にした。


「提督、艦長のご様子はいかがでしたか」
 艦橋に戻ったアッテンボローをベイリーが待ち構えていた。考えてみれば、今まで彼の出る幕はなかったのである。気になるのも当然だろう。
「貧血で、頭痛がするらしい。でも、イゼルローン要塞に戻る前に艦橋に顔を出すそうだ」
「そうですか。大したことがなくて何よりです」
「ああ」
「……小官ももっと艦長のことを気遣います。申し訳ありません」
「いや、いい」
 ベイリーが気づかないのも無理はなかった。
「司令席からは艦長席があんまり見えないからなあ」
 ついそう漏らすと、ベイリーは目を見張った。
「アッテンボロー少将?」
「いや、何でもない。でも今後は頼んだぞ」


 が艦橋に戻ってきたのは、それから30分ほど後のことだった。
「艦長! 大丈夫ですか?」
「はい。ご心配おかけして申し訳ありません」
 待ち望んだ声がして、アッテンボローはつい司令席から立ち上がり、艦長席を覗き込んだ。
「アッテンボロー提督、あまり身を乗り出すと危ないですよ」
「分かっている」
 どこかバツが悪そうにそう言うのを見て、が笑う。それからふと表情を改めると、インカムをセットした。
「みなさん、ご心配をおかけして本当に申し訳ありません。大事な訓練の初日に体調を崩すなんて、恥ずかしい限りです。二度とこのようなことはないようにしますので、今日のところはご容赦ください」

(声はしっかりしてるんだよなあ)
 何度もそう思う辺り、とにかくアッテンボローはの体調不良を気づかなかったこと、そしてそれを他の乗員が発見したことが悔しくて仕方ないのである。理性では条件が違いすぎるからやむを得ないと分かっていても、感情では納得できない。
(おれはのことをいちばん分かってたいのに……。でもこう言ったらまた笑うだろうな)
 そんなアッテンボローの思いをよそに、艦橋では次々に声が上がっている。
「艦長、無理しないでくださいね!」
「おれたちが付いてますから」
「……ありがとうございます」
 新任の女性艦長が艦隊運用演習の初日に体調不良を起こしたのである。罵倒とは言わないまでも野次が飛んでくるかと覚悟していたは、思いのほか暖かい声に微笑んだ。


「戦艦メイヴ、イゼルローン要塞に着艦しました」
「ご苦労。これで今日の訓練を終了する」
 アッテンボローがそう言うと同時には艦長席から立ち上がった。上の者から艦を降りるのが軍隊の不文律である。
(待ってたほうがいいかな)
 戦艦の責任者は艦長だが、当然ながら分艦隊旗艦の責任者は司令官である。司令官を差し置いて退艦することには抵抗を感じ、おとなしく艦橋の二階部分からアッテンボローが下りてくるのを待った。
「艦長、体調は大丈夫か」
「ご心配おかけして申し訳ありません。完全ではありませんが、だいぶよくなりました」
「そうか。演習が続くから、早く治してくれよ」
「……はい」
 後ろにラオやストリギンがいるからか、アッテンボローの言葉はごく一般的なもので、にはそれが素直にありがたかったものである。


 演習は終わっても、まだ定時には時間がある。したがって一行は司令部へ移動しているのだが、ベイリーとノールズは意図的に先頭を歩く分艦隊の幕僚たちからやや後ろを歩いていた。
「……間違いないぞ」
「ああ。あれはただの部下に対する態度じゃないな。特にあの、艦長の様子がおかしいって聞いたとき、すぐ二階部分から降りてきたときの速さが」
「アッテンボロー少将は艦長にご執心、か」
 内容が内容だけに、声はぎりぎりまで落としている。
「おれが思うに、あれは隠す気ゼロだな」
「牽制してるのか、何も考えてないのか……」
「分からん」
 そうなると、次に気になるのは一つである。

「艦長は……少将のこと、どう思ってるんだろう?」
 ベイリーはぽつりとそう呟いた。
「その点は手ごわそうだなあ、艦長は」
「ああ」
 もともと人柄をよく知らないのである。そして、自分たちが部下である以上、仕事中に直接尋ねるなど論外だ。
「飲みに誘ったら来るかな、艦長」
「……あの体調でか?」
「いや、別に今日じゃないけど」
 ベイリーは慌ててそう付け加えた。

「メイヴの幹部の飲み会って言えば来るかもしれないけど、そうするとペトルリーク大尉がいるからなあ……。下手すると少将まで来るぞ」
「ああ」
 さすがに顔を見合せて苦笑いする。ペトルリークは階級こそ下だが、彼らよりもずいぶんと年上なのだ。そして、今回の件からも分かるように、の子飼いの部下なのは間違いない。にプライベートな質問などしようものなら、が答える前にまっさきにペトルリークから制止されそうな気がする。
「かといって、おれたち二人が……どっちか一人が呼び出しても来なさそうだし」
「ああ、そういうガードはものすごく堅いだろうな。簡単に男の誘いに乗る艦長なんて想像できない」


「……でも、そういう女ほど落としてみたくならないか」
 ベイリーが呟いてノールズを見る。一方のノールズは何とも言えない表情をしていた。
「おれはやめたほうがいいと思うけどなあ……」
「理由は?」
「艦長が魅力的なのは認めるよ。でも、ライバルが少将なのは相手が悪すぎるぜ」
「……おれはそうは思わない」
 ノールズはなおも食い下がった。
「セシル、落ち着いてよく考えてみろ。おれたちが副長や砲術長をしてほしいって少将から連絡があったのはイゼルローン要塞に向かう巡航艦の中だぞ。ということは、少将と艦長は同じ巡航艦でイゼルローンに向かってたんじゃないか? こんな大事な話、通信だけでしないだろ」

「それは、確かに……。でも、偶然なんじゃ」
「今はイゼルローンに物資と人員が殺到してるんだぞ? そんな状況なのに、分艦隊司令官が考える旗艦の艦長候補者が都合よく同じ巡航艦に乗ってると思うか」
「…………」
「異論はないようだな。ということはつまり、少なくとも少将と艦長は同じ巡航艦でイゼルローン要塞に来るくらい親しいってことだ。それに、旗艦の艦長ってことは、オフィスでも戦艦の中でも四六時中顔を合わせることになる。そもそも艦長が少将を嫌ってたら、こんな話、受けるわけがない」

 ベイリーは相変わらず黙っているので、ノールズは構わずに言葉を続けた。
「以上の要素からして、艦長が少将を嫌っていることはありえない。むしろ、何がしかの好意を持ってる可能性のほうがずっと高いはずだ。そこに少将があんな好き好きオーラ全開で迫ってみろ、艦長にしてみれば悪い気はしないだろうよ。今はただの上司と部下かもしれないけど、そう遠くないうちにあの二人が恋人同士になってもおれは驚かない。ペトルリーク大尉の言うとおり、お似合いだと思うし」
「……おれよりもか?」
「ああ」
 さすがに付き合いが長いので、言葉には遠慮がない。

「おまけに相手は少将なんだぞ。その気になれば、セシルをメイヴから追い出すくらい朝飯前じゃないか。セシルが下手なことしたら、少将はそれくらいやりかねない気がするのはおれだけか?」
 さすがにベイリーは沈黙した。
「言うべきことは言ったぞ。というわけで、おれはセシルに撤退を勧めるね」
「……そうだなあ。いちいちもっともで、反論できない」
「じゃ、やめるのか」
「考えてみる。そんな簡単に諦められるか」
「…………」
 今度はノールズが沈黙する番である。その二人の男性士官の横を、栗色の髪と瞳を持つ小柄な女性士官が足早に追い抜いた。





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