14

「用件を話すかと思ったわ」
「いや、それはさすがに失礼だろ。もともと図々しい話なんだし……。せめてこっちから出向かないと」
「……大変失礼をいたしました、提督」
 は神妙に頭を下げたのだが、そこにぽんとアッテンボローの手が載せられた。そのままベレー帽ごしにだが頭を撫でられるに至り、が顔を上げたとき、間違いなく頬は紅潮していた。
「いいよ、そんなにかしこまらなくても」
「提督はわたしに甘いわ」
 が苦笑いしながらそう言ったとき、ふとこちらを見ているノールズと目が合った。急に表情を改めるに、アッテンボローも真顔になる。

「どうした」
「ノールズ少佐と目が合ったの。今の、見られたんじゃないかしら」
「別にいいさ」
「提督はそれでいいでしょうけど……」
 は吐息とともに本音を吐きだした。
「どうされたのです?」
「ベイリー少佐とノールズ少佐が艦長を狙ってる可能性があるんだ」
「……なるほど」
「わたしはこういうことに慣れていないんです。ただでさえ艦長業務でいっぱいいっぱいなのに……」


 士官食堂の別の場所では、こちらもひそひそ話が行われている。
「おい、今」
「どうした?」
「たまたま視界に入ったんだけど……。艦長が少将に頭を下げて、少将がその艦長の頭を撫でてたぞ」
「…………」
 ノールズがそう言うと、ベイリーは沈黙した。
「で、艦長の反応は」
「顔が赤くなってて、かわいかった。ありゃ、艦長も満更でもない感じだな」
 ベイリーは即座に奥の一角を見るが、もうそんな様子は見られない。
「……ちくしょう、おれも見たかった」
「セシル、そんなこと言ってる場合じゃない。おれが艦長と目が合ったのは偶然でも、それで艦長はすぐ表情を変えたんだ。あれはたぶん、こっちが何を考えてるかもう見当をつけられてるぞ」

「警戒されてるってことか、望むところだ」
 相変わらず強気のベイリーに、ノールズは辺りをはばかることなくため息をついた。
「あのなあ……。おれが思うに、艦長は26歳なんだろ?」
「ああ」
「ってことは、年齢的にも遊びで付き合う相手を探すわけじゃないだろうに」
「……いや、そもそも艦長が遊びで男と付き合うこと自体が考えられなくないか?」
 真面目そうな美人、というのが彼らに共通するの第一印象である。
「そうだな。ま、どっちでも同じだが……。とにかくおれが言いたいのは、艦長がこれから男性との付き合いを考えるなら、必然的にその後も視野に入れるだろうってことさ。軍人としての将来性を考えたとき、セシルが少将にかなうわけないだろ」

 もうすぐ30歳で少佐であれば、まあ標準的な出世である。ただ、20代で将官になったり、そうでなくても20代で中佐になった者から見れば見劣りするのは間違いない。こういうことは世間一般よりも相対的な速度のほうが目立つのだ。
「艦長はそんな打算で男を選ぶかなあ」
「じゃ、セシルは打算抜きで艦長に選ばれる自信があるのか」
 もうツッコミどころしかない、というのがノールズの正直な感想である。
「……自信があるかって言われれば、あるとまでは言えない」
 さすがに少しはトーン・ダウンしたか、と安心したのもつかの間……。
「今のところ、諦める選択肢はないけどな」
「……だから、やめとけって」


「意外ですね」
 そう言ったのはラオで、は首をかしげる。
「そうですか?」
「艦長は男性のあしらいがお上手そうに見えますが」
「……そんなことないです」
「失礼いたしました。艦長、本当に申し訳ありませんっ」
 言葉の後半がやけに焦っていると思ったら、案の定、アッテンボローがラオをにらんでいた。
「提督」
「……悪い」
「本当に悪いと思ってないでしょ」
「おれはを悲しませたり、悩ませる奴は許さない」
 こんな状況でなければ感動的な言葉だが、は遠慮なく鼻で笑ったものである。

「じゃ聞くけど……。今、実際にわたしを悩ませてるのは提督が推薦した副長と砲術長なのはどう考えてるの」
 アッテンボローは言葉に詰まった。
「……ごめん。それしか言えない」
 は小さく息を吐く。アッテンボローから見るとふくれているもきれいだと思うのだが、今それを口に出したら激怒されるのは間違いない。
「なるべくペトルリーク大尉と一緒にいてくれ」
「……うん、そうする」
 今のところ、彼らが実行できる対策はそのくらいだった。
「おれもこれからどうすればいいか、ちゃんと考えるから」
 は無言でうなずいた。


 その日の艦隊運用演習が終わると、アッテンボロー、ラオ、の3人はその足で宇宙港の出入港管理室に向かった。もちろん、フィッシャーに会うためである。
「さて、どう攻める?」
「どうもこうもないのでは……。艦隊運用演習で苦戦してるから、秘訣があればぜひ教えてほしいって言うのはいかがでしょう」
 ここで奇策を用いる必要はどこにもないように思える。アッテンボローが黙っているので、はラオに水を向けた。
「ラオ中佐はどうお考えですか?」
「艦長の案に賛成ですね。取り繕っても仕方ありませんし、ストレートに切り出すのがいちばんかと」
「分かった。じゃ、そうしよう」


 出入港管制室のオフィスは、司令部の執務室に比べればずいぶんと簡素なものだった。業務上の必要もさることながら、もしフィッシャーがあえてここに滞在しているとしたら、司令部の執務室は立派すぎて落ち着かないのかもしれない。その簡素なオフィスで、3人はフィッシャーと向かい合った。
「戦艦メイヴのみなさん。お揃いで、小官に何の用ですかな?」
 そう言うフィッシャーはとりたてて特徴のない、地味な中年男性である。アッテンボローやとは別の意味で、「軍服を脱ぐと軍人に見えない」タイプと評したらいいだろうか。

 簡単に自己紹介をしてから、アッテンボローは簡潔にこう切り出した。
「お恥ずかしい話ですが、艦隊運用に苦戦していましてね。フィッシャー提督はヤン提督にスカウトされた艦隊運用の達人でいらっしゃる。もし何か秘訣があれば、教えていただきたいと思いまして」
「なるほど」
 図々しい依頼だったのは確かだが、少なくとも、フィッシャーは嫌な顔をしなかった。そのことに、は内心でホッとしたものである。

「艦隊運用の秘訣ですか……。残念ながら、小官はお話しするのが苦手でしてね。頭ではいろいろとイメージできるのですが、それを言葉にするのが実に難しいのです」
「……なるほど」
「せっかく連絡をいただいたのに、申し訳ありませんな。そうだ、せめて小官の艦隊の運用のデータを提供いたしましょうか。みなさんであれば、そこから何か読み取れるかもしれません。アッテンボロー提督の執務室の端末に送信するよう、手配しておきましょう」
「ありがとうございます。お手数をおかけして大変申し訳ありません」
「いえいえ、熱心なのはとてもよいことです」


 その声とともに、3人は出入港管理室を出た。
「ちょっと気づいたのですが……」
「どうした、艦長」
「これは分艦隊の業務なので、わたしよりもむしろストリギン大尉が同行したほうがよかったのではないでしょうか」
 が冷静にそう言うと、アッテンボローとラオは顔を見合わせたものである。
「……実は、小官も同感です」
「分かった。じゃ、次からはストリギン大尉にも一緒に来てもらう」
 それはが言ったこととは微妙にずれていて、思わず顔を引きつらせた。

「提督、わたしの言うことを理解されてますよね?」
「当たり前じゃないか。でも、おれにとって艦長はもう分艦隊の幕僚と同じなんだ」
「いえ、幕僚以上でしょう」
「…………」
 ラオが冷静にそう付け加えたので、はまた赤面した。
「それに、例の件もあるしな。せっかくおれの近くにいるんだから、艦長にもいろいろ経験してもらいたいんだよ」
「……お気遣い、ありがとうございます」


「ついでに、アッテンボロー少将。小官も気づいたことを言ってもいいでしょうか」
「何だ」
「こうして艦隊運用演習を行っていますが、当然ながら、そのデータが蓄積されるわけですよね。それを検証して、改善点を見つける作業が必要ではありませんか?」
 ラオの言葉に、アッテンボローは明らかに虚を突かれたようだった。
「それに、こうして朝から晩まで演習が続くと、各艦船の整備も大変です。少しくらい、データの検証やデスクワークに専念する日を作ってもいいのでは?」

「……その通りだ。確かに、その辺りのことはおれの頭からすっぽり抜けてたな」
 アッテンボローはそう言って頭をかいてから、自分の端末でカレンダーを表示させた。
「明日が休みだから、とりあえず休み明けの9日はデータの検証とデスクワークをしようか。その後のことはまた考えよう」
「ありがとうございます」
「艦長はどう思う?」
「ラオ中佐の意見に全面的に賛成です」
「そうか、なら問題ない。もちろん、データ検証は艦長も参加してくれよ」
「……かしこまりました」
 

 が自分のオフィスに戻ったとき、そこにはまだ部下たちが残っていた。
「お疲れさまです、艦長」
「ええ。まだいらっしゃったのですね」
「艦長はどちらに行かれていたのですか?」
 そう言ったのがベイリーだったので、はわずかに身構えた。
「……提督とラオ中佐と一緒に、宇宙港の出入港管制室でフィッシャー提督にお目にかかっていました。正直なところ、わたしはその場にいただけでしたけど」
「なるほど」
「メイヴは旗艦ですからね。そういう業務も入ると、艦長はお忙しくなられますなあ」
「……ええ」
 は苦笑いした。そういえば、それに加えて要塞防御システムの件もあるのだ。艦隊運用演習にある程度の手ごたえを感じたら、少しずつでも取りかからなければならない。

「これから、こういった感じで艦隊運用演習が続くのでしょうか」
 ノールズがそう言ったので、は我に返る。
「さきほど、提督とラオ中佐が今後の予定について話し合っていました。あまり演習が続くと、そのデータを検証したり、それ以外のデスクワークをしたり、艦船の整備の時間も取れないですよね。したがって、とりあえず休み明けの9日はデータの検証とデスクワークに充てるそうです」
 そう言ってから、改めては苦笑した。
「これは言っても構わないと思ったからお伝えしましたが、これからはそうでないこともあるかもしれません」
「当然です、お気になさらず」
 即座にペトルリークがそう言ってくれたので、は微笑した。
「ありがとうございます」


「ところで艦長。明日は休みですし、これからみんなで食事でもいかがですか」
(とうとう来たわね)
 そんなこともあるかと予想していたので、はまったく動じない。
「お気持ちはありがたいのですが、まだ体調が万全ではないので、まず休みたいのです。家も完全に片付いていませんし」
 何しろイゼルローンに到着してからまだ1週間なのである。
「……そうですか、それは残念。艦長ともっといろいろなことをお話ししたいのですが」
 冗談めかしているが、ベイリーは割と本気のようである。がそう判断したのは、傍らのノールズの顔が明らかに引きつっていたからだ。
「仕事の話ならば、勤務中にどうぞ」
「……それ以外の話なら?」
「内容によりますね」
「セシル、やめろって」
 ノールズがそう小声で言っても、ベイリーは引く様子を見せない。傍らでペトルリークが心配そうな表情をしているのを、は視線で制した。

「じゃ、参考までにうかがいましょう」
「ありがとうございます。艦長はどんな男性がお好みですか?」
「そうですね、勤務中に堂々と上司のプライベートを詮索しない人でしょうか」
 ベイリーが平然を装いつつ実は緊張して放った質問を、はまさに完膚無きまでに粉砕した。不意打ちをかけたつもりが完全に返り打ちにあったベイリーはどこか呆然としたものである。
「……大変失礼をいたしました。どうか、お許しください」
「許すかどうかは今後のベイリー少佐次第です。それをお忘れなく」
 ごく冷静にそう言ってから、は端末の電源を落とした。
「帰ります。失礼」


「艦長」
 オフィスを出て司令部を足早に歩くの背後から、よく知っている声が追いかけてくる。
「……ペトルリーク大尉」
「艦長。すみません、お疲れのところ」
「いえ、それは構いません。どうしました?」
 それでも、には腹心の部下が何を言いたいのか、ある程度察していた。
「艦長があのような返答をされたということは、よほど腹に据えかねたのではないかと思いまして……。小官の目から見ても、先ほどのベイリー少佐の態度は目に余ります。アッテンボロー少将にお伝えしてもいいのではないでしょうか。もちろん、小官が考えることくらい艦長はもうお気づきでしょうが」

 さすがには苦笑いした。
「……あの返答はだいぶ大人げなかったかもしれません」
「でも、艦長は部下にプライベートについて詮索されることはお嫌いでしょう?」
「ええ。ある程度親しくなってからならともかく、現時点でベイリー少佐やノールズ少佐に積極的に教えたいとは思いません」
「……でしたら、小官はあれくらい言うのもありかと思いますが」
「ありがとうございます」

 は軽く微笑み、一度、言葉を切る。
「わたしはあまり厳格なことをしたくないのです。提督がベイリー少佐を副長にと推薦した以上、そこには何か必ず理由があるはずですから」
「そうかもしれませんが、現時点ではそれが何か分かりません。デメリットのほうが大きいように、小官には思えます」
 その言葉に、はしばらく考えこんだ。
「……心配してくれるのはありがたいのですが、もうしばらく様子を見させてください。これでベイリー少佐がおとなしくなるなら、今すぐに問題を大きくするのも気が引けます。言ってもだめだと判断したら、そのときにわたしから改めて提督にお話ししますので」

 穏やかなは、さきほどベイリーの質問を粉砕したときとは別人のようだった。
「……かしこまりました。艦長がそう判断なさるなら、小官はそれにしたがいます」
「すみません、いつもいつも」
「いいえ、いいんです。小官もいろいろ気をつけておりますので」
「頼りにしていますよ」
 それはまぎれもない本音だった。
「お帰りのところ、引き留めて申し訳ありませんでした」
「いえ……。こちらこそ、意見を聞かせてくれてありがとうございました。じゃ、また休み明けに」
「はいっ」


 そして、戦艦メイヴのオフィスからはノールズが隣の執務室へと向かっていた。
「アッテンボロー少将はお手すきでいらっしゃいますか?」
「……ええ、たぶん」
「来客中とか、どなたかと面談中ではありませんね?」
「はい。お一人でいらっしゃいます」
「ありがとう」
 ストリギンにそう声をかけて、執務室の扉をノックする。
「アッテンボロー少将、ノールズ少佐です。折り入ってお話ししたいことがあるのですが」
「入ってくれ」
「失礼いたします」
 執務室に入ると、ノールズはまず敬礼した。
「どうした、珍しいじゃないか」

「アッテンボロー少将のお耳に入れておきたいことがあります」
「何だ?」
「端的に申し上げますが、ベイリー少佐が暴走しかけています」
 その言葉に、アッテンボローは表情を改めた。
「……具体的には?」
「艦長に同僚以上の興味を持っています。小官はやめておけと言ったのですが、今のところ、聞きいれる様子はありません」
 それはある意味、アッテンボローの予想通りである。

「おれにわざわざ言いに来るってことは、ベイリー少佐は艦長に何か行動を起こしたのか」
「はい、ついさっき」
「さっき?」
「ベイリー少佐が艦長はどんな男性がお好きですか、と聞いたら、艦長は勤務中に堂々と上司のプライベートを詮索しない人、と即座に答えていました。おまけにその後、ベイリー少佐がお許しくださいって言ったんですが、艦長は許すかどうかは今後のベイリー少佐次第だと」

 ノールズが神妙に答えると、アッテンボローは笑おうとしてすぐに真顔になった。
「ちょっと待て、彼女がそんなふうに切り返すってよっぽどだぞ。さてはこの他にも何かあったな?」
「他に、ですか」
「ああ。中佐が苦笑いしてたようなことがあったんじゃないか」
 アッテンボローの知るは、そこまで攻撃的ではないのである。問われたノールズは少し考え込んだが、言葉はすぐに出てくる。
「……もしかすると、あれかもしれません」
「ん?」
「オフィスで初めてお会いしたとき、艦長は自分は若輩だから間違ったと思ったら指摘してほしい、と言ったんです。そこでベイリー少佐が、駆逐艦上がりの新任の艦長なんだから始めから完璧な艦体運用するなんて誰も思ってない、部下の軽口にも寛容で、艦長は合格だ――というようなことを言ってまして」

「反応は?」
「少将のおっしゃる通り、苦笑いをこらえていらっしゃる感じでした。その後、艦長からおれたちのほうに歩み寄って手を差しのべられたのですが」
 その言葉に、アッテンボローはため息をついた。
「駆逐艦上がりはまずいだろ、さすがに」
「……そうですね」
 言われてみればその通りである。
「ノールズ少佐……。言っておくけど、おれだって少佐のときは駆逐艦の艦長だったから、駆逐艦上がりなんだぜ。念のため聞くが、もしおれが艦長として着任しても同じことを言ったか? あるいは、ベイリー少佐が同じことを言ったと思うか?」
 質問したほうも、されたほうも、答えはあらかじめ予想がついていた。

「……いいえ」
「だよな。ということはだ、無意識に女性だから艦長を下に見てるってことだぞ。そりゃ腹を立てて当然だろう」
「そうですね」
 ノールズは吐息とともにその言葉を吐きだした。
「もともとあった戦艦に新しく艦長として着任するんだ、ある程度値踏みされることは想定してるさ。でも、それはさすがに許容範囲を超えてもおかしくない。艦長にも非がないわけじゃないけど、どっちかって言ったらベイリー少佐の言動のほうがより問題だ」

 アッテンボローは一度言葉を切った。
中佐は穏やかに見えるけど、だからといって甘い人じゃないし、もちろんプライドだって相応だろう。きれいで優しいだけの女性が20代半ばで中佐になるはずがないからな。ま、今回のことでよく分かっただろうが」
「……はい、それはもちろん。弁解の言葉もありません」
 ノールズはがっくりとうなだれたのだが、本来、この事態を引き起こしたのはベイリーなのである。


「しかし相変わらずだなあ、中佐は」
 アッテンボローの声の調子が変わったので、ノールズも少しだけ気が楽になった。
「少将は中佐のことを以前からご存じなのですか?」
「士官学校の同期なんだよ」
 本当はもっと言おうとしたのだが、アッテンボローは何とかそこで自制した。余計なことは言わないに限る。
「ま、それだけ強烈な先制パンチを喰らったら、ベイリー少佐だって態度を改めるだろう」
「……もし、態度を改めなかったら?」
「艦長から申し出があれば、動かざるを得ない。そもそもベイリー少佐を副長に推薦したのはおれだから」
 事実だったが、がそれを訴えるかどうかは別問題である。ただ、ここでそう言うわけにはいかなかった。

「……そうですね」
「ノールズ少佐、もしよければベイリー少佐にそう伝えてくれ。何かあったら任命したおれまで責任を問われかねないってな」
 その言葉に、ノールズが首をかしげる。
「誰から責任を問われるのです? 駐留艦隊の司令部ですか、それとも同盟首都ハイネセンの統合作戦本部?」
「いや、その前に艦長本人から」
(もう問われてるも同然だな、こりゃ)
 アッテンボローは苦笑いした。
「……なるほど、承知いたしました。そのようにベイリー少佐に伝えます」
「頼むな」

 そう言って笑ってから、アッテンボローはふと真顔になった。
「参考までに聞いておきたいんだが、ノールズ少佐は艦長のことをどう思う?」
 ずいぶんと漠然とした聞き方であるが、きちんとノールズはアッテンボローの意図を察したようだった。
「正直に申しまして、軍人としての艦長がどうかはまだよく分かりません。女性としては……魅力的な方だと思いますが、恋人にしたいとは思いませんね」
「その理由は?」
「少将と競い合う気はありませんから」
「……………………」
 アッテンボローは赤面した上で沈黙した。その様子が、彼の気持ちを何よりも雄弁に物語っている。
「小官はこれ以上、あえて申しませんしお尋ねもしません。興味があるのは事実ですが」
「……ありがとう。助かるよ」
 それは、まぎれもない本音だった。


 の体調が万全でないというのは、嘘ではなかった。
(でも、そろそろちゃんと料理をしたいかも)
 準備はほぼ整ったし、まだ時間も早い。考えてみれば、イゼルローンに来てから帰宅途中にスーパーで買い物をするのは初めてである。
(……これからダスティが来たりしないわよね)
 ただでさえ部下たちの件でぴりぴりしているのである。まさか、ここで突然来て手料理を要求されるようなことはないと思うが……。

(まだ付き合い始めて間もないんだし)
 アッテンボローはさほどでもないが、は職場環境が激変している上に体調の不安もある。なかなか変化についていけないのが正直なところだ。
(とりあえず、簡単なものにしよう)
 頭の中にメニューを思い描き、必要な材料をかごに入れる。今日の食欲もここ数日同様、「さほど空腹ではないが食べれば食べられそう」だった。
(あれこれ考えるのは後ね)

 こんな状態で考えても、いい考えが浮かぶとは思えない。買い物を済ませて帰宅し、まずメイクを落として部屋着に着替える。適当に野菜を放りこんでリゾットを作る間、ソファでクッションを抱えながら脱力していた。通信があったのはそんなときである。
「……はい」
『おれだ。これからまた家に行っていいか? 話がある』
 モニター越しにでも鍋の音は聞こえたらしく、アッテンボローの表情がわずかに緩む。
『料理中か?』
「そうだけど、わたしの分しか作ってないわよ。まだ体調が万全じゃないもの」
『……そうか』

「でも、来てくれるのはうれしいわ」
 そう言って微笑むと、アッテンボローの顔がほころんだ。
『分かった。じゃ、この間みたいに食事を持って行くよ』
「すぐ来れる?」
『ああ』
「じゃ、待ってるわ」
『ありがとう。おれも急いで行く』
「ええ」
 は通話を切り、ソファから立ち上がると鍋の中を覗き込んだ。
(うん、ほぼ完成ね)
 それであれば、アッテンボローが来てから自分の準備をすればいい。はソファに戻り、再びクッションを手にして目を閉じた。





2019/5/14up
←Back Index Next→
inserted by FC2 system