18

 そして艦隊運用演習は翌日も行われたが、今までと違うことがいくつかあった。はいつものように演習開始に充分間に合う時間にメイヴに乗艦したのだが、宇宙港がやたらと混雑している上に、アッテンボローがなかなかやって来ない。
(何かあったのかしら?)
 は首をかしげた。そして集合時間よりやや遅れて艦橋に現れたアッテンボローは、まず分艦隊の幕僚とを呼んだ。
「おはようございます、アッテンボロー提督」
「おはよう、遅れてすまない。ヤン提督から呼び出されたんだ」
 その言葉に、とラオは顔を見合わせる。

「ということは……」
「今日は全艦隊での演習を行うそうだ。ついでに、ヤン提督もヒューベリオンに乗って参加する」
 考えてみれば意外でも何ともないのだが、それが初めてなのは事実である。
「……昨日、提督がユリアンに艦隊運用について伝えたことと関係あるかもしれませんね」
「そうだなあ。ヤン提督としては、現時点で艦隊運用の練度がどのくらいなのか確認したいみたいだ」
「なるほど」
 当然だが、いくら作戦を立ててもその通りに実行されなければ意味がないのである。
「今日は長い一日になるかもしれないな。定時を大幅に超えるようなら、明日は休みにしよう」
 その言葉には笑った。
「でしたら提督、それはあらかじめ分艦隊に連絡したほうがよいかと思います」
「分かった、そうする」


 事実、その日は長い一日になった。
 艦隊の行動バリエーションは数が多い。基本からそれを確認しようと思えば、時間がかかるのは必然である。そして、乗員は交替しながら適宜休憩をとれるが、幹部はなかなかそうもいかない。
「艦長、お身体は大丈夫ですか」
「……はい、今のところは」
 演習中には何度そう聞かれ、何度大丈夫だと答えたか分からない。心配してくれてありがたいと同時に、煩わしくないと言ったら嘘になるのが正直なところだ。
 結局、演習が終わったのは標準時で21時を過ぎたころで、当然ながら、それからイゼルローン要塞へ帰投するのである。

「よし、決めた。今日は直帰で、明日は休みにする。艦長、分艦隊に通知してくれ」
「かしこまりました」
 はそう言ってハールマンを見た。心得たハールマンが全艦隊に連絡するのを聞きながら、艦長席の背もたれに体重を預ける。
「何度も申し訳ありません。艦長、体調は……」
「何とか持ちました」
 もう何度目かも分からないベイリーやペトルリークの問いかけにそう答える。それはのまぎれもない本音だった。
「……帰宅されたら、ごゆっくりお休みください」
「ありがとうございます」


 全艦隊がいっせいにイゼルローン要塞に帰投するのである。当然ながら、総旗艦が最優先だ。メイヴも分艦隊旗艦なので優遇されているものの、それでも人ごみにまぎれてアッテンボローとが家の最寄駅に着いたときには23時を回っていた。
「……疲れたなあ。夕食の休憩も短時間だったし」
「ええ」
 それでも、食事ができただけマシである。家の近くまで歩いているとき、はアッテンボローを見た。
「えーと、今日は……」
「さすがに泊まらないよ。ちゃんと休んでもらわないと」
「それはダスティもでしょ?」
「おれとじゃそもそも基礎体力が違うじゃないか」
「……そうだけど」
 複雑な表情をしたをどう解釈したのか、アッテンボローは笑った。
「明日、起きて余裕ができたら連絡くれ」
「うん」
「じゃ、お休み」
「お休みなさい」


 いくら疲れていても、帰宅してそのまま寝るわけにはいかない。はすぐに浴槽に湯をためて風呂に入った。いつもに比べて髪や身体を洗うのが適当になってしまった気がするが、これはもうやむを得ない。風呂から上がって髪を乾かすと、すぐにベッドに倒れこむ。翌朝が目覚めたとき、時刻はもう朝よりは昼に近かった。
(…………)
 一人暮らしで、しかも昨日の帰宅は深夜だったのである。誰にはばかる必要もないとはいえ、相変わらずは赤面した。はっきり目が覚めたので、ベッドから起き上がる。身支度を整えて簡単に朝食を取ると、は昨夜言われたとおりにアッテンボローに通信をつないだ。

「おはよう……って時間じゃないけど」
『しょうがないさ、昨日が遅かったんだから。これから行ってもいいか?』
「ええ」
『分かった』
 何しろ家の距離は徒歩10秒である。玄関のチャイムが鳴ったのは通信を切ってから数分後なのはもう笑うしかない。
「どうぞ」
「お邪魔します」

 短い廊下を歩いてリビングに入ると、アッテンボローは改めてを見た。
「一日遅れちまったけど……。誕生日おめでとう、
「…………」
 はとっさに声が出なかった。
「そうだったわね」
「何だ、忘れてたのか」
「うん。何て言うか、それどころじゃなかった」
 状況を考えれば、それも無理のないことである。

「ちなみにまだメイク前だな?」
「連絡したらこれだけすぐ来るのに、メイクできるわけないでしょ」
「いや、おれに連絡したときにもうメイクをしてるかと思ったんだ」
「……手を抜きすぎかしら」
「そんなことない。言ったろ? おれと会うときに変な緊張をしてほしくないって」
「ありがとう」
 そう言うが早いがさっそく抱きしめられ、唇を重ねられる。


「今日の予定は?」
「別にない。ただ、一緒にいたいだけ」
「……そう。じゃ、コーヒーでも飲む?」
「ああ」
 今のところ出かける予定はないので、は部屋着姿である。
「いつも思うけど、かわいい部屋着だよなあ」
「完全に軍服の反動だと思うわ」
 はそう言って笑った。
「それだ。軍服とのギャップがすごい」
 すぐにコーヒーが出来上がり、はカップに入れてソファにいるアッテンボローにひとつを渡した。
「はい」
「ありがとう」

「昨日の艦隊運用演習、ヤン提督がどう思ったのか気になるわ。ダスティは知ってる?」
「いや」
「何も連絡ないんだ」
「ああ。昨日は終わるのも遅かったしな」
 はカップのコーヒーを一口飲んでから改めてアッテンボローを見た。
「ダスティはどう思った?」
「最初よりよくなってるけど、まだまだ練度が足りない」
「……そうね」
 思わず考え込んだに、アッテンボローが笑う。

「別にのせいだなんて思ってないよ。メイヴはまだいいほうだ」
「それならいいけど」
「前に言ってたじゃないか、焦りは禁物だって」
「……うん」
 こうなると、どちらが諭されているのか分からない。
「ヤン提督の考える、艦隊運用の練度の完成時期って言えばいいのかな? それはいつなのかしら」
「あんまりそういう話はしてないなあ。早いに越したことはないんだろうけど」
「そうね」
 それは間違いない。
「……例の行動基準の素案づくりは進んでる?」
「いや、何も手を付けてない。これだけ演習が詰まってるから」
 言うまでもないが演習の予定を組んだのはアッテンボロー自身なのである。


……。せっかく休みなんだから、仕事の話はやめないか」
「……いいけど」
「仕事じゃできないこと、しよう」
 耳元にそうささやくとコーヒーカップを置き、すぐにまた唇を重ねる。ひとしきりキスが終わるとは苦笑いした。
「どうした?」
「仕事中でもやってるじゃない、これなら」
 アッテンボローはさすがにバツの悪そうな顔になる。

「そうだけどさあ」
「よかったわね、執務室が個室で」
 この言葉に皮肉がまったく含まれていないと言ったら嘘になるだろう。
「……否定はしない。でも、メイヴのオフィスも楽しそうでちょっとうらやましいよ」
「そう?」
「というか、懐かしかったのかなあ」
「……はいはい、少将閣下は出世が早くていらっしゃるから」
「だから、そう言うなって」
「事実じゃないの」
 は笑った。ただ、この辺りでやめておいたほうがお互いのためである。


「このままずっと家にいる?」
「うーん……。はどうしたい?」
「少なくとも買い物には行きたいかな。夕飯の材料がないもの」
 はそう言ってちらりとアッテンボローを見た。
「押しかけた上に夕飯まで作らせるのはさすがに申し訳ないから、夕飯はどこかに行こう。その帰りに買い物すればいい」

「……あのね。わたしは、できるだけ休みの前は別々に過ごしたほうがいい気がするの」
「理由は?」
「気持ちを切り替えるため。絶対にだめとまでは言わないけど……」
「そうだなあ。じゃ、今日は食事した後、おれは家に帰るか」
 アッテンボローはまたカップを傾けた。
「この間、昼休みにを執務室に呼んだだろ?」
「ええ」
「それについて、みんなに何か言われたか?」
「ううん。あらかじめ、言えないこともあるかもって言っておいたから」
「さすがだなあ」
「あんな用事で呼び出されると思ってなかったけど……。いったい、ポプラン少佐に何を言われたの?」
「秘密」
 というか、とてもに言える話ではない。ヒントを出してさえやぶへびになる可能性があるので、アッテンボローはそれきり黙った。
「……ま、無理に知りたいとは思わないわ」
「助かるよ」


 コーヒーは飲み終わったようで、カップをテーブルに置く。すぐにを抱きしめた。
「どうしたの?」
「……いや、仕事の話はしないようにって自分で言っておきながら、気づいたことがあるんだ」
「何?」
「今のところの体調は大丈夫みたいだけど、念のためベイリー少佐にも艦長業務を経験してもらったほうがいいよな? もちろん、メイヴだけじゃなくて他の戦艦も」
「ええ、そうね」
「休み明けの艦隊運用演習は副長の訓練に充てるか」
 アッテンボローは独り言のようにそうつぶやいたのだが、それを聞いたが苦笑いする。

「……わたしよりベイリー少佐のほうが上手かったら立場がないわね」
「それはないよ。は少佐のときから艦長だったから、立ち居ふるまいがもう出来上がってるじゃないか」
 それは、にとって意外な言葉だった。
「そう?」
「ああ。何て言うか、の言うことには文句を言わずに従いたくなるけど、ベイリー少佐はたぶんそこまでじゃない」
 そう言ってくれるのはありがたいのだが、多分に主観が含まれていそうな気がする。
「それってダスティだけなんじゃ……」
「いや、そんなことないって。週明けが楽しみだな」

 アッテンボローは人の悪い笑みを浮かべていた。
「わたしは楽しみだとは思わないわ。どっちかって言うと心配だけど」
「駆逐艦上がりって言われたのを見返すいい機会じゃないか」
 確かにそう思わないでもなかったのだが、ははっきりと首を横に振る。
「……それはもういいわよ」
「悪い。は優しいなあ」
「もう決着がついたことを今さら蒸し返したくないの。ダスティのほうがわたしより怒ってるなんて不思議ね」
だって、おれのためにいろいろ頑張ってくれてるじゃないか。それと同じさ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
 もともとソファで密着しているのである。このまま唇が重なるのは必然だった。


 相変わらず、ソファで抱き合いながら仕事の話をしているのである。客観的に見れば相当に不思議な光景だが、この二人にはそれが極めて自然だった。
「このまま昼寝でもするか?」
「うーん、そこまででもないような」
「そうか。じゃ、どこかに出かける?」
「夕飯以外で?」
「ああ。でも、それも慌ただしいか」
 あっという間にアッテンボローが自分の意見を翻すと、は笑った。

「休日の過ごし方のバリエーションが少ないわね、わたしたち」
「同感。ここがイゼルローン要塞なのもあるんだろうけど」
「そう? 同盟首都ハイネセンでもあんまり変わらなそうな気がする」
「……かもな。でも……おれはが一緒にいてくれれば、どこでどう過ごすかは大して重要じゃない」
 さらさらの鳶色の髪を撫でながらそう言うと、は赤面した。
「またそういうこと言って……」
「本心だぜ」
「分かってるわよ」


 結局、二人は夕方まで他愛のない話をして過ごした。
「久しぶりにゆっくり休んだ気がするわ」
「おれもだ。そろそろ食事に行くか?」
「ええ。支度するわね」
 外出するからにはきちんと着替えなければならない。が選んだのは、デニム地のワンピースと白いカーディガンだった。そして、いつもの一粒ダイヤに三日月が留まっているネックレスをしている。20分ほどで着替えとメイクを終えると、はリビングに戻った。
「お待たせ」
「……やっぱりずいぶん感じが変わるなあ」
のんびりとそう言ったのだが、きちんと服装を整えるを見て、それこそ焦らないと言ったら嘘になる。
(……おれももう少し、着るものを気にしたほうがいいかもな)

「えーと、財布は」
 がバッグの中身を入れ替えていると、アッテンボローは笑った。
「いいよ、持って行かなくて」
 は一瞬動きを止めたが、さすがに首を横に振る。
「そういうわけにはいかないわ」
「気にしなくていいのに」
「いくら収入が違っても、一方的におごられるのは嫌なのよ」
 その気持ちは分からなくもない。
「……そうか」
「分かってくれた?」
「ああ」
 ははっきりと微笑んだ。
「ありがとう」


 外で食事をするのはいいのだが、ここが佐官の居住区であることを考えると、関係者に会う確率はゼロではない。
「……手、つながないのか」
「誰か、関係者に会うかもしれないと思って……」
「いいじゃないか、別に」
「そう思う?」
「ああ」
 その答えにはまったく迷いがなく、なぜがためらっているか分からないといった様子である。
はイゼルローン要塞に佐官が何人いると思ってるんだよ?」
 笑いながら問われ、は首をかしげた。
「えーと、5万人くらい?」
「たぶんな。気が遠くなるだろ?」
「ええ」

「つまり、関係者に会う可能性自体が極めて少ない。おまけに、今のはまず軍人だとは思われないさ」
 アッテンボローはそう言って改めての顔を覗きこんだ。
「どうしても嫌ならしないけど、どうする?」
「……ううん、ごめんなさい。わたしが気にしすぎだったわ」
「よかった」
 アッテンボローは改めて左手を差し出し、がその手をそっと握る。
「冷たいなあ」
「……冷え性なの。考えてみれば、今は真冬なのよね」
「ああ」
「それで、どこに行くつもりなの?」


「駅から来る途中で、いつも気になってたんだ」
 アッテンボローはそう言って立ち止まったのは、「ラパン・ドール」という名のレストランだった。
「えーと……『黄金のうさぎ』かな」
「ん?」
「お店の名前。違うかもしれないけど」
 改めて見ると、確かに看板にはうさぎの絵が書いてある。
「とりあえず、入ろう」
「ええ」
 木製の厚いドアを開けて店内に入る。週末の夜ということもあり、店はそこそこ賑わっていた。

「いらっしゃいませ、二名様ですかー?」
「はい」
「ご案内いたします。どうぞ」
 スタッフがきびきびと席に案内し、椅子まで引いてくれる。それぞれの前でメニューを広げると、スタッフは一礼して去って行った。
「……本当に割り勘でいいのか?」
「もちろん。ダスティはお酒を飲む?」
「うーん……。は?」
「一杯くらいなら」
「分かった。じゃ、グラスワインを頼もうか」
「ええ」

 あまり静かだと話もしにくいが、人が入っているせいか、適度なざわめきがある。ワインとともに注文を決めると、アッテンボローはまたを見た。
「デザートは?」
「ケーキしかないから、やめておく。夜にケーキみたいな重いデザートを食べると、お腹にもたれちゃうから」
は小食だなあ」
「……どっちかって言えば、食べたくても食べられないんだけど」
「そうだったな、悪い」
 アッテンボローは頭をかいた。

 注文は済ませたが、なんとなく手持無沙汰になってメニューをめくっていると、そこにはテイクアウトのメニューも記載されていた。
「ここは何時までだろ?」
「お酒が飲めるってことは、けっこう遅くまでやってるんじゃないかしら」
 アッテンボローがメニューをひっくり返すと、裏表紙に「午前1:00まで営業(ラストオーダー0:30)」と書いてある。
の言う通りだ。じゃ、昨日みたいに遅くなったときはここで料理を買って帰ってもいいと思って」
「そうね」
「いい店を見つけた……かも」
 断定しないのは、まだ料理が来ていないからである。


 結果として、アッテンボローとの期待は裏切られなかった。料理も酒も質量ともに満足できるものだったのである。
「美味かったな、また来よう」
「ええ」
 料金を支払って家に戻る途中、はアッテンボローを見た。
「それで、ダスティはわたしをいつ家に泊めてくれるの?」
 アルコールが入っているにも関わらず硬直した様子を見て、遠慮なく笑う。
「そんなに緊張すること?」
「……まあ、それなりに」

「あんまりいつまでも泊めてくれないと、浮気を疑うわよ」
「おれが浮気するわけないだろ……!」
 どうもこういう話になると冷静ではいられない。近所迷惑にならない程度にアッテンボローが吠えると、はくすくすと笑った。
「それは知ってるけど、一般論としてね」
 そう言った後、ふと表情を改める。
「言っておくけど、わたしは家事をしない男と一緒に住むつもりはないから」
「……分かった」
(完全に本気だな、こりゃ)


 のんびりした休みを過ごした後は、また艦隊運用演習である。とにかく、軍隊は実戦以外はほぼ演習や訓練に明け暮れていると言ってもいいだろう。
「……小官が艦長業務を行うのですか?」
「はい。アッテンボロー提督から聞いてらっしゃいませんか」
「まったくの初耳です」
 朝、たまたま宇宙港でベイリーに遭遇したのでは気軽にそう伝えたのだが、考えてみれば昨日は休みだったのである。

「艦長、それをいつ……」
「この間でしたか、昼休みに提督から呼ばれたときに」
「なるほど」
「他のことが頭にあって、お伝えするのを忘れてしまっていました。申し訳ありません」
「いえ」
 なるべく表情には出さないようにしていたが、は内心ホッとしたものである。
(余計なことは言わないほうがいいわね)

「小官が艦長と同じことができるか、正直なところ不安です」
「……わたしもそうですよ。まだまだ、手ごたえを感じるまでに至っていません」
 ふとあることに気づき、はベイリーを見た。
「ベイリー少佐。これはまだ非公式というか、提督がこういう訓練も必要だと思っていらっしゃるだけで、正式な決定ではなさそうなのです。提督にお話しして、もう少し先に延ばしてもらいますか?」

 その言葉に、ベイリーは足を止めた。
「……それは可能なのでしょうか」
「おそらく。考えてみれば、まだわたしも艦隊運用に不安があるので……。まずはそれを取り除いてからベイリー少佐にやっていただいたほうが、わたしも助言できるかもしれませんし」
「延長するとなると、いつごろでしょう?」
「詳しくは分かりませんが、どんなに早くても年明けでしょうね」
 何しろ、もう12月も半ばなのである。
「……艦長、お言葉に甘えていいですか。さすがに突然では心の準備もできません」
「分かりました。では、わたしから提督にお話しします」


 二人は戦艦メイヴの入口にやってきた。
「提督が正式に通知を出すとまずいので、わたしはここで提督を待っています。おそらく、問題なく承知してくださると思うのですが……」
「よろしくお願いいたします。では、お先に」
「ええ」
 ベイリーの表情は必死だった。無理もない。
(ダスティが早く来るといいけど)

 さほど待つ必要もなくアッテンボローが現れると、入口で待ち構えていたを見て目を丸くした。
「どうした、艦長」
「おはようございます、アッテンボロー提督。お話があるのですが」
 はそう前置きして、ベイリーとの会話内容を話した。
「なるほどなあ。確かにまだ早いかもしれない」
「これはまだ分艦隊に通知していないようでしたら、延期していただけると助かるのですが」
「分かった、そうしよう」
 こういうときのアッテンボローの決断は早い。は微笑んだ。
「ありがとうございます」

 他に人がいないのを確認してから、アッテンボローは苦笑いする。
「危なかったな」
「……はい。余計なことを言うものではありませんね」
「いや。艦橋で突然これから艦長業務をって言われるより、少しでも早く知ったほうがいいに決まってる。ただ、上手くごまかせてよかった」
「……ありがとうございます」
「じゃ、ベイリー少佐にこのことを伝えてくれるか」
「かしこまりました」


 アッテンボローとが並んで艦橋に姿を現すと、そこにいた乗員たちは一斉に敬礼した。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「……おはようございます、みなさん」
 はまだアッテンボローほど鷹揚に答えることには慣れていない。分艦隊幕僚の席のある二階部分へと続く階段まで来ると、アッテンボローはに言った。
「艦長、各部門の点呼を頼む。揃っていたら出発だ」
「かしこまりました」
 そう言いながらざっと艦橋を見渡すが、異常は感じられない。これまた察したハールマンが各部署への点呼を呼びかける間、はベイリーに歩み寄った。
「例の件ですが、延期することになりました」
「……ありがとうございます」
「なるべく、事前にお知らせするようにしますね」
「何から何まで申し訳ありません、艦長」
「いえ、お気になさらず」


 その日から3日間の演習を終えた日、おそらくイゼルローン要塞にいる軍人全てへの朗報がもたらされた。
「キャゼルヌ少将がとうとうイゼルローンにやって来るらしい。幕僚に連絡が来てる」
 アッテンボローがそう言い出したのは、演習が終わって司令部に戻る途中だった。
「……それはよかったです。赴任されるのはいつごろですか?」
「来年1月10日ごろだそうだ。ということは、もうすぐ出発する感じだな」
「そうですね。ヤン提督も喜んでいるでしょう」
「ああ、間違いなく」
 アッテンボローは笑った。これで間違いなく、イゼルローン要塞を構成する最後の要素が揃うことになったのである。





 ヒロインの誕生日は12月11日です。そして、やっと1巻が終わりました……。
2019/5/28up
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