01

 艦隊演習が続く中、その噂は唐突にもたらされた。昼休みの士官食堂で、に珍しい声がかけられる。
中佐、ここに座ってもよろしいですか」
「どうぞ、ルーデル少尉」
「ありがとうございます」
 そう言ってルーデル少尉が立っているのは、の正面だった。もちろん、断るはずもない。笑顔でそう言って食事を口に運ぶと、ルーデル少尉はおもむろに口を開いた。
中佐、イゼルローン要塞に幽霊が出るって話はご存じですか?」
「……幽霊?」
「はい」
 は目をしばたたかせる。
「いえ、全然」

中佐、今日もおきれいですね。というわけで失礼します」
 こんなことを言う心当たりは一人しかいない。苦笑しながら顔を上げると、そこには予想通りポプランとコーネフがいた。そして、それだけを言ってポプランが座ったのはの左隣である。
「珍しいですね、アッテンボロー少将とご一緒じゃないなんて」
「そんなこともないと思いますが……。確か今日は会議があると聞いた気がします」
「なるほど」
 何しろ、まだ交際について知っているのはごく一部の人間だけである。


「ポプラン少佐とコーネフ少佐は幽霊の話をご存じですか?」
「ええ、もちろん。首なし美女の幽霊ですよ」
 ルーデル少尉の問いかけに必要以上にポプランが胸を張りながら答えるのを見て、は苦笑した。
「……首がないのに、どうして美女だと分かるのでしょう?」
「それはもちろん、顔がなくても美女なら美女と分かるのが歴戦の勇者ですから」
「連敗を重ねても歴戦は歴戦だからな」
 すかさずコーネフがそう言うのを聞いて、つい笑ってしまう。

「……で、何でお前さんが艦長の隣に座ってるんだ」
「士官食堂でどこに座ろうとおれの自由です、アッテンボロー少将」
「…………」
 まったくの正論である。がどうするかと思って見ていると、アッテンボローはの右隣に座った。は素早く周りを見渡すが、今なら普通に話しても問題なさそうだ。
「ねえ、知ってる? イゼルローンに幽霊が出るって噂が立ってるんだって」
「はあ?」
 その様子を見る限り、どうやらアッテンボローも初耳らしい。


「ところで、みなはさんはそもそも幽霊を信じますか?」
「……正直に言うと、あんまり」
「おれもだ」
 ルーデル少尉の問いかけに、とアッテンボローは揃って苦笑いした。
「ちなみに、ポプラン少佐とコーネフ少佐は」
「おれがそんなものを信じると思います?」
「話としては面白いですけどね」
「ですよね」
 ルーデル少尉はうなずいた。つまり、ここにいるメンバーは誰もみんな幽霊を信じていないということだ。

「そもそも、学校と軍隊は幽霊話がつきものだからなあ」
「そうね」
 食事を口に運びながらアッテンボローがそう呟いた。
「一艦ひと幽霊といいますからね、イゼルローンともなれば幽霊の一万や二万はいるでしょう」
 ポプランが肩をすくめてそう言うと、コーネフもすぐに同意する。
「幽霊だけで二個師団ができる。しかも不死身のね。薔薇の騎士ローゼンリッターでも勝てやしない」
「そいつは困ったな。いったい、誰を頼ればいいのやら」
「ヤン提督でないことだけは間違いありませんね」
 アッテンボローが苦笑するとすかさずポプランがそう言い、その場の全員が笑った。


 そこでは笑い話で済んだのだが、この話は意外な方向へと発展していくことになる。
「あのさ、昼休みにみんなで話してた幽霊話だけど……。もしかしたら笑い話じゃ済まなくなるかもしれない」
 帰りの電車の中でアッテンボローがそんなことを言い出し、は思わずアッテンボローを見たものである。
「どういうことですか?」
「いや、その話を分艦隊の幕僚にしたら、予想以上に真剣に受け止められてさ。おれたちはまだイゼルローン要塞のことを完全に把握してるわけじゃないだろ? どこかに帝国軍の残兵が潜んでて、破壊工作の機会をうかがってるんじゃないかって……」
 は苦笑いした。

「分艦隊の幕僚ということは、ラオ中佐のご意見でしょうか」
「当たりだ、勘がいいな。ちなみに艦長はどう思う?」
 は肩をすくめた。
「話としてはそこそこ面白いですけど……。でも、今さらという感じがします。どうせなら、アムリッツァの敗戦で混乱しているときを狙えばよかったのに」
「だよなあ」
「どういたしますか、提督」
 改めて問いかけると、アッテンボローは腕を組んで考え込んだ。
「……一応、ヤン提督に伝えておくよ。放置して大事になったら困るからな」
「かしこまりました」


 この翌日からアッテンボロー分艦隊は例によって艦隊運用演習に出たので、彼らがこの話の顛末を知ったのは数日後のことだった。
「そういえば、例の幽霊話だか」
 アッテンボローがそう言い出したのは昼休みである。
「結論から言うと、解決した。幽霊も、帝国軍の兵士もいなかった。いたのは、アムリッツァ会戦のときに喧嘩沙汰を起こして行方をくらましていた同盟軍うちの兵士で、食料を探しにあちこちに出没してたのを幽霊と間違えられたみたいだ。半死半生でうずくまっていたのを探険隊のメンバーが発見して、病院に運び込んだらしい」
「詳しいわね」
「……なるほど。しかしアッテンボロー少将はなぜその辺りをご存じなのです?」
「幽霊探しをしたのは、ポプランとコーネフ少佐、それにユリアンだったそうだからな」
「何だかものすごく納得できるメンバーね、それ」
「ああ。ラオ中佐、これで安心したか?」
「ええ、まあ」
「大したことがなくてよかったわ」


「で、おれにとって明らかにそれより深刻なのが、艦長の食欲がいっこうに回復しないことなんだが」
 アッテンボローがそう言うと、ははっきりと表情を曇らせた。
「……申し訳ありません。食欲がないだけで、他の異常はないのですが」
「病院に行くほどではないと?」
 そう言ったのはラオである。
「ええ、今のところは」
「そうか」
 アッテンボローはじっとを見た。
「何よ」
「次にこの間みたいなことになったら、宇宙港から病院に強制連行するぞ」
「…………」
「アッテンボロー少将、それは逆効果ではないでしょうか? そんなことを言われたら、余計に体調が悪いと言い出せませんよ」
「それもそうか」
 アッテンボローは頭をかいた。

「……提督はわたしを信じてくださらないのですか」
「ん?」
「必要だと思えば、ちゃんと病院に行きます。今はその必要はないと思っているだけなのですが」
「そう言われるとつらいなあ。でも、艦長の大丈夫は大丈夫じゃないこともあったし」
「それは、いつの話でしょう」
 が冷静に指摘すると、アッテンボローは言葉に詰まる。それを見ていたラオは笑った。
「小官の見る限り、これは艦長の言い分のほうが理にかなっていますね」
「ありがとうございます」

「おれはが心配なんだ」
 とうとうファースト・ネームまで呼び始めるに至り、は苦笑いせざるを得ない。
「それはもう充分に承知しておりますが」
 アッテンボローはしばらく考え込んでいたが、やがて諦めて息を吐いた。
「……分かった、とりあえず強制連行の話はなしにする。でも、本当にまずいと思ったら実行するからな」
「かしこまりました」
「で、何でいつの間にか敬語に変わったんだ?」
「深い意味はないわよ」
「そうか、よかった」
 その会話に、ラオは笑いをこらえるのに苦労した。


 演習を重ねれば、少しずつだが手ごたえも感じられるものだ。
「……何となく、求められてるものが分かって来た気がする」
「それは頼もしい」
「ちなみに、艦隊行動基準の素案づくりは進んでるの?」
「ま、それなりにな」
 それが出来上がらない限り、なかなか統一的な行動を取るのは難しいのである。
「そうだ、それでちょっと気づいたことがあるんだけど」
 はそう言ってアッテンボローを見た。
「……提督って退却の演習をするとき、なぜかやたらといきいきしてない? そういえば、士官学校時代からそういうシミュレーションが妙に得意だった気がするんだけど」

「やっぱり艦長にはばれてたか」
 アッテンボローが頭をかくと、ラオが不思議そうにを見た。
「そうなのですか?」
「ええ。退却するふりをして敵の戦力を削ぐとか、敗北した部隊を再編して抵抗を続けるとか、そういうことはやたらと得意でした。そういう局面になったときの対戦相手はたいてい青ざめてましたからね」
「だからアムリッツァの前哨戦でウランフ提督から退却の指揮を任されたのかなあ。その辺、おれが伝えた覚えはないんだけど」
「ちなみに、ヤン提督はこのことを……」
「もちろんご存じですよ」
「懐かしいなあ」

 つい脱線してしまい、は苦笑いした。
「いえ、わたしが言いたかったことはこれではないのです。提督の戦法として、砲撃を一ヶ所に集中するものがありますよね」
「ああ。どんな戦艦だって、ビームを半ダースも集中させたら無事じゃ済まないからな」
「……つまり、同じことを帝国軍にされた場合、こちらも無事ではいられませんが」
 おそるおそるラオがそう言い出すと、アッテンボローは笑った。
「確かにそうだけど、帝国軍はそこまでしないと思う」
「なぜですか?」
「そこまでしなくても、向こうは戦力が充実してるからさ」
「……なるほど」

「それを習得したら、あとは旗艦ならではの行動を身につけたいです」
 がごく真面目にそう言うと、アッテンボローがまた笑う。
「艦長は本当に頼りになるなあ。おれが何も教えてないのに、自分でこうやってどんどん課題を見つけて解決して行くんだから。特権にふんぞり返ってたダンメルス中佐とは大違いだぜ」
「そうなのですか?」
「ああ」
「……ありがとうございます。わたしは提督の足手まといになりたくないので」
 の言葉に、アッテンボローがかすかに眉をひそめた。
「誰かにそう言われたのか?」
「いいえ。これは、わたしの自戒です」
「……ならいいけど」

「艦長はご自分に厳しいですね」
「おれはもう少し肩の力を抜いてもいいと思うけど、まあ、艦長もいろいろ思うことがあるんだろう?」
「……はい」
「その辺りは個人的に聞くよ」
 それは当然の対応なのだが、は赤面した。
「……でも、提督はわたしの性格を知った上で旗艦の艦長にしたのですよね?」
「いやまあ、そうだけど」
「わたしが自分に厳しいのは、悪い面ばかりなのでしょうか」
 の表情が曇り、琥珀色の瞳がかすかに潤んでくる。アッテンボローはそれを見て慌てかけたが……。

「この間もそうだったけど……。わざとやってるだろ、それ」
「はい」
 がけろりとそう答える様子に、ラオは唖然とした。
「……艦長は女優でいらっしゃる」
「男社会の軍の中で、自分の意見を通すための処世術です」
「……いや、それは分からなくもないけど」
「じゃ、ご理解ください」
 にっこり微笑んでいるが、よく見ると目はまったく笑っていない。そして、口調も有無を言わさない勢いである。

「艦長にはかなわないなあ、おれは」
「……分艦隊の真の主かもしれませんね」
「ああ」
「聞こえてますよ」
 もともとこの距離で内緒話ができるはずもないのである。の表情はまた曇ったが、今度は演技ではなさそうだ。
「……充分に気をつけて、猫をかぶっているようにします。さすがにそんなふうに言われるのはちょっと」
「そうだな、悪い」
「……失礼いたしました、艦長」
 アッテンボローはの手を一瞬だけぎゅっと握った。 


「そうだ。こんなところで何だが、次の休みは連休にする。さすがに身体がきつくないか」
「……はい、正直に言って」
「ありがとうございます。でも、ここでこういったお話をされるなら、ストリギン大尉を呼んだほうがいいかと思いますが」
 は冷静に声をかける。
「それもそうだ。近くにいるなら呼んでくれ」
「かしこまりました」
 士官食堂を見渡すと、近くにストリギンが食事をしている姿が見えた。ただ、が見たのはそれだけではない。
「提督、食事を待っている乗員がいます。場所を変えたほうがよろしいかと」
「分かった。じゃ、会議室に行くか」
「……そこまで改まってする話でもなさそうですが」
「それもそうだなあ」
「とりあえず、行きましょう」
 はさっと席を立った。


 ストリギンに声をかけて艦橋までの廊下を歩きながら休日の案を相談すると、ストリギンもすぐにうなずいた。
「はい、小官もそれに賛成です。それから……」
「何だ?」
「できれば、もう少し先までの予定があらかじめ分かるといいのですが」
 アッテンボローは自分の副官を見た。
「先までって言うと……」
「年内くらいです」
 もう796年は2週間足らずで終了なのである。

「それくらいなら何とかなるだろうが……。ただ、変更の可能性はゼロじゃないぞ」
「心得ております」
「分かった。艦長、付き合ってくれ。やっぱり会議室で検討しよう」
 その言葉はにとって意外だった。
「……小官が、ですか?」
「ああ。艦長を基準にすればいちばん無理がないだろう」
「恐縮です」
 声とは裏腹に表情は渋い。それに気づいたようで、アッテンボローはわずかに顔をひきつらせた。そして、その予想は的中することになる。


 会議室に入ってご丁寧に電子錠までかけると、は遠慮なく顔をしかめた。
「……どうせわたしがこの中でいちばん弱いわよ」
「そういう意味で言ったんじゃないって」
 その弁解に、はまったく耳を貸さない。
「あんまりわたしを特別扱いしないで。前の艦長にもそんな配慮した?」
「……いや」
 渋々ながら認めると、の表情がゆがむ。
「それとまったく同じとまでは言わないけど、さすがにこれは……」
「ごめん」
 鍵のかかる部屋に二人しかいないのであれば、次の行動は一つしかない。アッテンボローはを抱きしめ、頬に唇を寄せた。

「ごめん。やりすぎた」
「……ついでに言えば、今鍵をかけるのだってやりすぎよ」
「そうだなあ」
「外す?」
「いや、次回からかけないことにする。とりあえず、本題に入ろう」
「ええ」
 さすがにこのままで話し合うわけにはいかない。アッテンボローがを開放すると、はすぐにドアに歩み寄って電子錠を解除した。

……」
「艦長でしょ」
「失礼いたしました、艦長」
 もはや、どちらが上官か分からない。改めて会議室の机に向かい合わせで座り、スケジュールを検討する。さほど時間がかからずに決まった。
「この演習は日帰りですか、提督」
「そうだなあ、そろそろ泊まりで演習を入れてもいい気がするけど……。艦長はどう思う?」
 は首をかしげた。

「区切りもいいですし、泊まりの演習は年明けからにしてはいかがでしょうか」
「分かった、そうしよう」
 アッテンボローは改めてを見た。
「……ごめんな、いろいろと」
 は無言でうなずく。
「言い訳だけど、おれもまだ慣れてないんだ。また気になることがあったら言ってくれ」
「かしこまりました。そろそろ艦橋に戻りませんか、提督」
「おっと」
 時計を見ると、もう昼休みは残り少ない。
「ありがとう、艦長。これからもよろしく頼む」
「はい」


 休みが近づくと浮足立つのはいつの時代もどの職業でも変わらないが、ここは軍隊である。いくら演習といっても、少しの気の緩みが事故につながりかねない。
「明日は休日ですが、こういうときこそ事故が起きやすいのです。イゼルローン要塞に戻るまで、絶対に気を抜かないでください。よろしくお願いいたします」
 は訓練が始まる前にわざわざこう言ったのだが、したがって、言った本人が気を抜くわけにはいかない。そして、今日は訓練の4日目である。前日までの訓練はほぼ予定通りの時間に終わっているとはいえ、累積疲労がないと言ったら嘘になる。
(何とか身体を持たせないと)
 改めて自分にそう言い聞かせ、艦長席の背もたれに体重を預けたとき、ペトルリークと目が合った。
(…………バレたわね)
 伊達に長く付き合っているわけではない。心配そうにこちらを見るペトルリークに軽く首を横に振り、姿勢を正す。
「よし、では今日の演習を始める」

 の場合、初日もそうだったように、体調が悪くても声の張りを保つことはさほど難しくはない。したがって、アッテンボローがの不調に気づいたのは例によって昼休みだった。
「大丈夫か? だいぶ顔色が悪いけど」
「……正直に申しますと、よくはありません。食事が終わったら、ちょっと艦長室で横になってもいいですか」
 どう答えようか迷ったのは事実だが、結局、は正直に告白したものである。
「もちろん。食欲は?」
「……ありません」
「小官が拝見するに、艦長は今すぐ休まれたほうがよさそうですが……。それも、艦長室ではなく医務室で」
「おれも同感だ。何なら医務室まで連れてってやるけど」
「……では、お願いできますか」
「ああ。ちょっと行ってくるな」

 やはりと言うべきだろうか、の足取りはどこか心もとなかった。
「大丈夫じゃないだろ」
「……原因は何となく見当がついてるの。だから、休めばよくなると思うんだけど」
「医務室で薬をもらえばもっとよくなるぜ」
「そうね」
 アッテンボローがわざわざ同行したのは、が確実に医務室に行くとは限らないからである。

「で、心当たりは?」
「ここでは言いたくない」
 確かに、戦艦の廊下では誰が聞いているか分からない。それでも、アッテンボローは改めての顔を覗きこんだ。
「……おれにも?」
「提督はまだいいけど、あんまり他の男性には……。あとはきっと累積疲労ね」
「なるほど、そういうことか」
 アッテンボローがその婉曲な表現での症状を理解したのは、ひとえに姉が3人いるおかげである。そんな会話を交わすうちに医務室に到着した。
「休みの終わりころに様子を見に来るから。いざとなったらベイリー少佐に代行してもらうから、無理するなよ」
「……ありがとう」


 士官食堂に戻ったアッテンボローは、近くにいたペトルリークを自分の席に呼んだ。
「艦長を医務室に送って来た」
「……そうですか」
 呼ばれたペトルリークは明らかに緊張している様子である。
「いい機会だから、オークⅠ号時代の艦長のことを詳しく聞かせてほしい。そのときからこんな感じだったか?」
「いえ……。確かに女性ですから、体力面で男性と完全に同等とは申せませんでしたが」
「こんなにひどくはなかったと?」
 既に食事を終えたラオが尋ねると、ペトルリークがうなずく。
「はい、その通りです」
「そうか」
 微妙に冷めた食事を口に運びつつ、アッテンボローは苦笑いした。
「能力的には何の問題もないと思うけど、体力面はちょっと盲点だったな。いきなり重荷を背負わせすぎたか」

「アッテンボロー少将。もしかして、艦長を……」
「いや、今は交替させようとは思ってない。心配してるのは事実だが」
「……そうですか」
 ペトルリークは明らかにホッとした様子だった。
「今は訓練だからまだいいけど……」
「ええ。それは艦長もご理解されていると思います」
 アッテンボローはそこで言葉を止めたが、先に言いたかった内容はラオもペトルリークも理解している。

「……艦長の場合、だから余計に具合が悪いのを隠しそうなんだよなあ」
「同感です、少将」
「ま、いざとなったらおれが強制的に病院に連れて行くさ」
「いいのですか、そのようなことをして?」
「いいも何もない。艦長の健康のほうが大事なんだから」
「……それは、そうですが」
 ここには事情を知らないペトルリークがいるので、アッテンボローはそう言って口をつぐんだ。
「小官も引き続き艦長のご様子を気にしております」
「ああ、頼む」


 予告通りにアッテンボローがまた医務室へ行くと、はベッドの上で半身を起こしていた。確かに、先ほどよりやや顔色はよくなっている。
「大丈夫か?」
「ええ。また貧血だったから、鉄剤を注射してもらったの。午後からはまた艦橋に戻るわ」
 それ以外の選択肢はないと言いたげな、断固とした表情と声。こういうときの彼女を止めるのはアッテンボローであっても至難である。
「……分かった。でも、無理するなよ」


 が艦橋に戻ると、いつもオフィスで一緒に過ごしている部下たちがいっせいに近寄った。
「大丈夫です。それ以上は言わないでください」
「……かしこまりました」
 アッテンボローはその様子を見てから、司令部のある二階部分に上った。
も名実ともに艦長になってきたか……。この場合、いいか悪いか微妙だけど)
「いかがされましたか、少将」
「いや、何でもない」
 苦笑していたのを目ざとくストリギンに見つけられ、表情を改める。そのとき、階下部分から声がした。
「アッテンボロー提督、午後の演習を始めませんか」
「ああ、そうしよう」


「今日はこれで終了する。全艦、イゼルローン要塞へ帰投せよ」
 決められた演習を終えてそう声をかけると、アッテンボローは艦橋の階下部分へと降りた。
「大丈夫か」
「……はい、何とか。今日は直帰してもよろしいですか」
「もちろん」
「では、宇宙港から無人タクシーで帰ります」
「ああ、そうするといい」
 当然ながら、この会話は部下たちも聞いているのである。はアッテンボローしか分からないくらいわずかに首を横に振った。これはつまり「一緒に来るな」であり、アッテンボローもわずかにうなずく。

「ご心配いただき、申し訳ありません」
「そうだなあ」
 ここで下手にあれこれ言うと、後で自分の首を絞める可能性がある。それが分かったので、アッテンボローの歯切れは悪い。
「とりあえず、ゆっくり休んでくれ」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
 公的な会話なので、あまり長引くのはまずい。部下から不審に思われるかもしれないし、どちらかが失言してしまう可能性もある。早めに切り上げてアッテンボローが司令官席に戻ると、ストリギンが近づいてきた。
「大丈夫でしょうか、中佐は」
「本人に聞いてくれ」
「……失礼いたしました」
 他人にあれこれ言われるのは、愉快ではなかった。







2019/5/31up
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