14

 アッテンボローは士官食堂に寄り、コーヒーを二つ持って艦長室を訪れた。
「おれだ、開けてくれ」
「うん」
 端末でロックを解除すると、はソファに座っていた。ちなみに、顔はまだ赤い。
「ほら」
「……ありがとう」
 紙コップのコーヒーを受け取り、一口すする。アッテンボローも同じようにコーヒーを飲んでから、改めてを見た。
「大丈夫か?」
「……まだ動悸が治まらないの」
「無理もないよ」

「まさか、こんなことになるなんて……」
「そうだなあ」
アッテンボローはの肩に腕を回した。
「でも、心配ない。否定的な意見は出なかったじゃないか」
「あんなふうに言われたら、反対したくてもできないわ」
「いや、それが狙いだったんだ。おれたちのことはペトルリーク大尉が好意的に見てくれてるって知ってたしな」
 しれっとそう言うアッテンボローに、は苦笑いする。
「いずれ話さなきゃならないと思ってた。いつまでも隠し通せるわけもないし、それこそ誰かがのこと狙ってたみたいだし」
「あれは冗談じゃない?」
「そうか?」

 そのとき、アッテンボローの端末が振動した。
「ラオだな。何だろう」
 アッテンボローはを抱きしめたままそう言って、平然とモニターを表示させた。すなわち、こちらの映像もそのまま送信されることになる。
「ちょっと……!」
の抗議もアッテンボローにはどこ吹く風である。そして、モニターの向こうのラオは明らかに赤面していた。
『……お取り込み中すみません。たった今、キャゼルヌ少将がシャトルに乗ってお見えになりまして』
「え?」
『どうしてもお二人にお会いしたいそうです。いかがいたしましょう?』
 この場合、判断すべきなのはどちらかといえばなので、アッテンボローは彼女を見た。
「どうする?」
「……別に、いいけど」
「だそうだ。艦長室に案内してくれ」
『かしこまりました』


 そうして艦長室にやってきたキャゼルヌは、アッテンボローとを一目見るなり、ほとんど直角に頭を下げた。
「すまん」
「キャゼルヌ少将、そんな」
があんまりきれいになってたから、驚いて……。それでつい私用の端末で話してるような気分になったんだ。いや、でもそれは言い訳だな。とにかくすまん」
 アッテンボローとは目を見合わせた。そして、先ほどと同様、ここで発言するのはである。
「もういいですよ」
「……そうか?」
 穏やかには言ったが、キャゼルヌはまだ疑っているようだ。

「はい。あの後、ダスティが堂々と交際宣言をしてくれました。幸い、乗員のみなさんからも好意的に見られてるようです」
「おれと別れても艦長は辞めるななんて声まで上がりましたからね。まったく、失礼な」
 憤慨するアッテンボローには笑い、またキャゼルヌを見る。
「輸送船にお戻りください。きっと、奥さまも心配されていますよ」
「いや、事情を話したら家内も心配してた。イゼルローンに着いたら、一回うちに夕飯を食べに来てくれ」
「でも……」
「このままだとおれの気持ちが治まらない。とにかく、すまなかった」
「……分かりました。もういいです」

 がそう言ったのは苦笑交じりだった。完全に納得したわけではないが、とにかくこう言わないとキャゼルヌは引き下がってくれそうになかったのである。
「そうか。じゃ、また連絡するな」
「はい。お気をつけて」
 ソファから立ち上がったキャゼルヌに、ぎこちない笑みを見せる。
「シャトルまで送ってくるよ」
「ええ」
 はうなずき、端末で艦長室のロックを解除した。


「悪かったな、本当に」
 艦長室を出て入口に行くまでの間も、キャゼルヌはしきりとそう言った。
「いいですよ。いずれみんなに言わなきゃいけないと思ってましたから」
 それは事実だったが、事実の全てではない。もちろん、キャゼルヌもその辺りは察している。
「もしお前さんたちがこれで破局したら……おれは一生恨まれるだろうと思ったんだ」
「……うーん、否定はできませんね」
 さすがにアッテンボローは苦笑いする。キャゼルヌも後輩たちのことをよく見ているのだ。
「でも、そんなことにならないと思います。もしそうなら、は艦長室に籠城して先輩だけじゃなくおれのことも断固拒否するでしょう」
「……そうか」
 メイヴの入口にはラオが立っていた。
「こちらです」
「お気をつけて」
「ああ、ありがとう」


 アッテンボローが艦長室に戻ったとき、に持って来たコーヒーは空になっていた。
「だいぶ落ち着いたみたいだな」
「さすがにね」
 改めて隣に座り、自分のコーヒーを手に取る。もちろん冷めていたが、文句は言えない。アッテンボローはまたを抱きしめた。
「どうしたの?」
「さっきの続きだよ。キャゼルヌ先輩が来て、中断させられたから」

「……ありがとう、ダスティ」
「ん?」
「堂々と言ってくれて、すごくうれしかったの」
「そうか、よかった。頬をつままれたのは意外だったけど」
 は苦笑いした。
「抵抗したら、ダスティが無理やりこうしてるって誤解されかねないでしょ? でも、あれがわたしの本意じゃないってことは示したかったから」
は頭が回るなあ」

 アッテンボローはしみじみとそう言って、またの頬に唇を寄せる。
「そろそろ艦橋に行かなきゃ」
「慌てなくても大丈夫だよ。もうキャゼルヌ少将と合流したし、艦橋はベイリー少佐に任せてきたから」
「ううん、でももう時間がかなり過ぎてるわ」
「そうだな」
 そう言ってから、改めてを見る。
「おれも一緒に行こうか?」
「どちらでも」
 そう言って笑ったを見て、アッテンボローは彼女が完全に精神を立て直したことを確信した。


 アッテンボローとが艦橋に姿を見せると、ざわめいていた乗員たちはぴたりと私語を止めた。できるだけ落ち着いて、は口を開く。
「みなさん、わたしのプライベートのことでお騒がせして申し訳ありません」
 そう言って頭を下げる。
「艦長、ご安心ください」
「……ベイリー少佐?」
「少将と艦長がいらっしゃらない間、艦橋で聞こえてきたのは『やっぱり』という声ばかりでした。小官の知る限り、少将と艦長の交際に反対する者は誰もいません」
 は赤面した。
「個人的にも、艦長には少将とお別れしても艦長を続けていただきたいですね」
「ベイリー少佐、だからおれは艦長と別れる気なんかないって」
「ですから、もしそうなったら小官にお知らせください。何とか少将に旗艦を変えてもらうよう、策を練りますので」
「…………」

 は自信満々のベイリーからやや視線をずらしてノールズを見た。そのノールズはかすかに顔をひきつらせている。
(なるほど、これも暴走ってわけね)
「ベイリー少佐をメイヴの副長にしたのはおれだぞ?」
「小官は少将よりも艦長を取ります」
「そのくらいにしてください、ベイリー少佐。今のところ、わたしにその気はありませんから」
「……かしこまりました」
 あまり放置しておくとアッテンボローがいじけるので、は穏やかにベイリーを制止したものである。

「みなさん……。これからもよろしくお願いいたします」
 が改めて頭を下げると、艦橋に拍手が沸き起こった。
「そうだ。イゼルローンに、キャゼルヌ少将と無事に合流できたと連絡していただけますか?」
「もう済んでいます、艦長」
 いつものようにハールマンが朗々とそう言ったので、は微笑んだ。
「ありがとうございます」
 しかし、は気づかなかった。イゼルローンに報告されていたのは、それだけではなかったのである。


 1月16日。アッテンボローの小集団は無事にキャゼルヌの乗った輸送船とともにイゼルローン要塞に到着した。
「イゼルローン要塞に到着しました。お疲れさまでした。みなさんのご協力に感謝いたします」
 がそう言った後、アッテンボローの声が響く。
「今回の任務に参加した者は、明日と明後日は休日にする。しっかり休んでくれ」
「…………」
 それはに言っているように聞こえ、わずかに赤面する。
「艦長」
「……すみません」
 ベイリーにそう問いかけられ、は我に返って急いで席を立った。戦艦は階級の上の者から退艦するのが軍隊のならわしである。そして、艦橋の入口に向かったところではアッテンボローが待っていた。

「そういえば体調は大丈夫か?」
「はい、今のところは問題ありません」
「そうか、よかった。無理をしないでくれよ」
「…………」
 交際が明らかになったからか、アッテンボローの声は明らかに今までと違う。
「キャゼルヌ少将はこれからどうされるのでしょう?」
「ああ、ユリアンがヤン提督の代理で迎えに来てるそうだ」
「そうですか、それなら安心です」
 何しろ、自分たちは地図を片手に家まで行ったのである。
(それにしても……)
 は小さく首を振り、息を吐く。すぐこの状況に順応しろというほうが無理だった。

「どうした?」
「何でもありません」
 並んで歩く自分たちの後ろで、部下たちが好奇の目で見ていることは間違いない。自分が部下でもそうする。それが分かっているので、は懸命に冷静さを保った。
「じゃ、おれはヤン提督に報告に行くよ」
「……行ってらっしゃいませ」
 そう言ってアッテンボローが別方向に行った後、今度は部下たちに囲まれる。

「やっぱりそうだったのですね、艦長」
「……やっぱり、ですか」
「少将は艦長のことをずいぶん気に入ってらっしゃると思っていました」
「…………」
 はまた頭を振った。
「すみませんが、外でこの話をするのは控えていただけますか」
 それは穏やかだが、断固とした声である。
「……申し訳ありません」
「いえ」


 オフィスに戻ってデスクワークを始めたものの、は何度も顔をしかめて頭を振った。
「いかがなさいましたか、艦長」
 例によって、こういうことに真っ先に気づくのはペトルリークだ。
「頭痛がしてきました。イゼルローンに帰って来て、ホッとしたからでしょうか」
「無理もありません、いろいろありましたから」
「…………」
 完全に他意はないと分かっているが、それでもはわずかに赤面したものである。
「……今日は定時で帰ります」
 それは宣言だった。


 一方、アッテンボローは司令官室でヤンに帰還を報告していた。
「無事、帰還いたしました」
「お疲れさま。さっき、キャゼルヌ少将に要塞事務監の辞令を渡したところだ」
 ヤンはそう言って意味ありげに笑った。
「聞いたよ。艦橋でちょっとした騒ぎがあったんだって?」
「…………」
「ま、しばらくは大変だろうが、頑張りなさい」
「……はい」
 アッテンボローはうめくようにそう答えた。


(…………)
 司令官室から自分の執務室に戻る途中、アッテンボローはメイヴのオフィスに顔を出した。
「艦長はいるか?」
 気軽にそう言ってドアを開けたのだが、奥の席に人影はない。
「お疲れさまです。艦長は頭痛がするとかで、早退されました」
 そう答えたのはベイリーだった。
「……いつ帰った?」
「つい先ほどです」
「そうか」
 その言葉に、アッテンボローは考え込んだ。
「じゃ、いい。悪いな」
「いえ」
 それだけを言って、自分の執務室に戻る。


 そのころ、は電車の中にいた。
(今回は大丈夫だと思ったんだけどなあ)
 それは、体調が悪くならないというわけではなく、体調が悪いことを周囲に知らせずに済むという意味である。
(ばれたら間違いなくダスティに怒られるわね)
 以前も言ったように訓練に穴をあけているわけではないが、さすがにこう体調不良が続くのはまずい。
(……病院に行こうかなあ)
 そんなことを考えているうちに最寄駅に着く。適当に食事を買って家に着いたところで、アッテンボローからメールが来ていることに気づいた。文面は簡潔に『事情はオフィスで聞いた。家に着いたら連絡くれ』である。
(…………)

 何しろアッテンボローの執務室は個室なのだ。は言われたとおり、アッテンボ
ローの端末に通信をつなぐ。
『……大丈夫か? やっぱり顔色は悪いな』
「大丈夫じゃないから早退したんだけど」
『分かってる。おれが聞いたのは、付き添わなくていいかってことだ』
「それはたぶん、平気。きっと寝れば治ると思うの」
『そうか』
 アッテンボローはそう言って何かを言いかけたようだった。
「どうしたの?」
『何でもない。明日、支度ができたら連絡してくれるか?』
「うん」
『ゆっくり休んでくれよ』
「分かったわ、ありがとう」
 はそれでも微笑んで通信を切った。


 そして、上位者がいないオフィスではやはりこのことが話題に上ったものだ。
「あの二人、やっぱり付き合ってたんですね」
「ああ」
「何度も言うようですが、お似合いですよ」
 そんな中、ハールマンは首をかしげた。
「でも、やっぱりというほどでもないような……。少なくとも、小官は艦長が少将をどう思っているのかは分かりませんでしたし」
「……言われてみればそうですね」
 ノールズもうなずく。そこにペトルリークが苦笑いした。
「いえ、艦長はもともとああいうところがおありでした。良くも悪くも、考えてらっしゃることを部下に悟らせないような……。最近はそうでもなくなったなと思っていましたが、それもアッテンボロー少将とお付き合いされている影響かもしれませんね」
「なるほど、そうかもしれません」
「いずれにせよ、よかったと思います」
 そう言って笑ったペトルリークに、ノールズが首をひねる。
「あれ、でも確か少将は独身主義だって聞いたような……」
「付き合いと結婚は別だろ」


 最近は体調不良が続くので、買って来たもので夕食を取り、そのままゆっくりお風呂に浸かってベッドに直行することばかりな気がする。
(気のせい……じゃないわよね)
 何しろ休み前に一人で過ごすときはほぼそうなのだ。
(…………)
 疲労と頭痛が相まって、考えがまとまらない。はまた頭を振った。
(寝よう)
 こんなときにあれこれ考えても、いい答えが出るはずがない。はやるべきことを機械的にこなし、ベッドに入った。


 戦艦の艦長室の設備も悪くないが、やはり自宅に勝るものはない。ベッドに入ってから、はほとんど瞬間的に眠りに落ちたようだった。何度か目を覚ましつつ、最終的に覚醒したのは、ベッドに入ってから10時間ほど後のことである。
(…………)
 どれだけ疲れてたんだと思いつつ、やはり赤面してしまう。それでも、熟睡したせいか
気分はすっきりしていた。
(いつもこうなのよね)
 イゼルローン要塞に帰って来て、熟睡すれば体調は回復するのである。どちらも同じ宇宙空間なのに、何がどう違って体調不良を引き起こすのか、少なくともには分からない。

(さすがに連絡するには早いだろうなあ……)
 寝たのが早かったせいで、時刻はまだ早朝である。アッテンボローだって初めて泊まりがけで艦隊の指揮を執ったのだ。疲労がないはずはない。
(ゆっくり支度して、連絡はそれからにしよう)
 はベッドから起き上がった。身支度を整えて軽く朝食をとり、洗濯や家の片付けをする。それらが一段落すると、は何気なく端末を手に取った。
(え?)
 常になくメールがたくさん来ている。首をかしげながらそれらを開くと、は硬直した。

(……………………)
 全て読むのには時間がかかりそうなので、適当なところで切り上げ、いつもの番号を呼び出す。
「おはよう」
『……おはよう。具合はどうだ?』
「お陰さまで、すっきりしたわ」
『そうか。いつも寝ればよくなるんだよなあ』
「わたしもそう思ってたところ」
 は何とか笑おうとしたが、その笑みはひどくぎこちないものだったようである。
『……その様子だと、のところにもいろいろ来てるな?』
「ええ」
『分かった、すぐ行くよ』
 アッテンボローはため息とともにそう言った。


 いつものことだが、アッテンボローがすぐと言ったら本当にすぐ来るのである。実際、玄関のチャイムが押されたのはそれから数分後だった。
「おはよう。いらっしゃい」
「お邪魔します」
「朝ごはん、食べた?」
「一応な」
「じゃ、コーヒーを淹れるわ」
「ありがとう」
 そんな会話を交わしながらリビングに来ると、アッテンボローは遠慮なくソファに腰を下ろした。はそんなアッテンボローを一瞥してから、いつものようにコーヒーメーカーに豆をセットする。さほど時間がかからずにコーヒーが出来上がると、はカップについで一つをアッテンボローに渡した。

「どうぞ」
「ありがとう」
 そう言ってコーヒーを一口含み、改めてを見る。
「……に知らせなきゃいけないことがある。いいことと悪いことと両方あるんだけど、どっちから聞きたい?」
「じゃ、悪いほうから」
 はそう答えたが、その内容の目星はついていた。
「おれがメイヴの艦橋で交際宣言した件、相当広がってる。のところに来たメールも、それじゃないか?」
「……ええ」

「ごめんな、おれが迂闊だった。あんなこと、艦橋にいた奴らが黙ってるはずがない。でも、かといってごまかすわけにもいかなかったし」
 アッテンボローはそう言って頭を下げたのだが、は首を横に振る。
「ううん、ダスティが悪いわけじゃないわ」
「ということは、悪いのはキャゼルヌ先輩?」
「そうなるんでしょうけど……」
 の歯切れは悪い。自分たちが交際していることはいずれ伝えなければと思っていたが、結果的にまったくコントロールの及ばない事態になってしまったのである。

「それで、いいことって?」
 改めてそう尋ねると、アッテンボローは改めてを見た。
「そのキャゼルヌ先輩から、さっそく連絡があった。できれば今日、夕飯を食べに来てくれってさ。絶対に何も持たないで来てくれって何度も言われたよ」
「……そう」
の体調がどうなるか分からなかったから、まだ返事をしてないんだ。どうする?」
 それは極めて妥当な判断だった。は考え込んだが、これも、あまり引き伸ばし
てもいいことはなさそうである。

「……じゃ、うかがいましょうか」
「分かった。ならキャゼルヌ先輩に連絡するよ」
「そうね、準備もあるし」
 がうなずくと、アッテンボローはコーヒーカップを置いてソファから立ち上がる。
「念のため、が映らない角度で通信するな。おれの家じゃないのはばれるかもしれないけど」
「……ありがとう」
 さすがに今はキャゼルヌと話したい気分ではなかった。アッテンボローがキャゼルヌに通信している会話を聞くともなしに聞く。
「よし、夕食の件はこれでいい」
 アッテンボローはそう言ってうなずき、もう一度ソファに腰を下ろした。


「あのね、ダスティ……。やっぱり体調不良が続いて心配だから、病院に行こうかと思う
んだけど」
「そうだな」
「……今はタイミングが悪い気がするの」
 はそう言ったのだが、アッテンボローは首をかしげる。
「何で?」
「だって、噂が立ちそうだし」
「何の噂だよ」
 その表情を見ている限り、どうやら本当に気づかないらしい。は思い切ってはっきり言うことにした。
「分かってもらえないみたいだからはっきり言うわね。ここでわたしが病院に行ったら、妊娠したんじゃないかって噂が立ちそうで心配なの」
「……………………」
 さすがにアッテンボローは赤面した。もちろん、それは言ったも同様である。

「そうかもしれない。おれが悪かった」
「……こんなことになるなら、もっと早く行けばよかったわ」
 それはのまぎれもない本音である。
「えーと、……」
「何よ」
が、将来……いや、なるかどうかも分からないけど、でももしそうなったら」
 しどろもどろになっている辺りが、アッテンボローの動揺の深さを何よりもよく物語っている。
「そうなったら、おれも……できる限りのことはするから」
「……ありがとう。その言葉、忘れないでよ」
「もちろん」
 アッテンボローはそう言っての肩を抱いた。


「確かには一度ちゃんと病院に行ったほうがいいと思うな。悪い病気だったら大変だし」
 そう言ったときにはアッテンボローの声はいつもと同じに戻っていた。それはすなわちこの話題は終わりということであり、自分から水を向けたも、実のところはホッとしたものである。
「でも、もし悪い病気でドクターストップが出たら……」
 今度は心配そうに言うの手をぎゅっと握る。
「そうだったら仕方ないさ。前にも言っただろ? おれはの健康を損ねてまで、艦長をさせたいわけじゃないって」
「……それは、そうだけど」
「おれはあんまり詳しくないけど……。ドクターストップが出るような状態なら、普段からもっとしんどいんじゃないかなあ」

 あえて軽く言うと、の表情がわずかに変化する。
「薬をもらえば、今の状況がちょっとでも楽になる可能性が高いだろ? それを考えたら、やっぱり行っておくべきだよ。次にいつ出撃するか分からないし」
「……そうよね。でも、軍関係の病院に行くのはちょっと……」
「だよなあ」
 一難去ってまた一難と言うべきか。でも、それが確かにネックになるのは間違いなかった。
「医療関係者には守秘義務があるけど、居合わせた人はそうじゃないからな。今だと、が病院に行ったこと自体が変な噂を呼びかねない」
「ええ」
 がうなずいたところで、アッテンボローの脳裏にあることがひらめいた。

「キャゼルヌ先輩に信頼できる病院を紹介してもらうってのは?」
「え?」
 予想外の言葉に、は目を見開く。
「……でも、キャゼルヌ少将は昨日イゼルローン要塞に来たばっかりなのよ」
「そこはそれ、要塞事務監の職権を使ってもらう。キャゼルヌ先輩自身は知らなくても、部下が知ってるかもしれない。は軍服を着なければ軍人には見えないんだから」
「またそういうことを……」
 は顔をしかめたが、アッテンボローはまったく動じなかった。
、忘れるなよ? おれたちは被害者なんだ。キャゼルヌ先輩がおれたちの関係を暴露したことで、迷惑……とまでは行かなくても困惑してるのは事実だろ。相手が相手だからあからさまに強気には出られないけど、その辺を踏まえて交渉する余地はあると思うぜ」
「……そうね」
 はうなずいた。
「よし、どうやって攻める?」
 二人はそれから具体的な手順の検討に入った。


 約束の時間の少し前に、揃っての家を出る。
「本当に手ぶらでいいの?」
「この場合、何か持って行くとかえって気を遣わせるさ」
「それもそうね」
 佐官の居住区から将官の居住区に移動すると、アッテンボローは手元の端末で地図を表示させた。
「ダスティはこの辺りに住むつもりだったのよね?」
に振られてたらな」
「…………」

 さすがには苦笑いする。
「ま、そんなことにならなくてよかった。えーと、もう少し先か」
 そんなことを言いながら道を進み、あるフラットの前に到着する。
「ここだ」
 そう言って立ち止まり、アッテンボローとは顔を見合わせた。
「じゃ、お互いに抜かりなく」
「ええ」
 アッテンボローはキャゼルヌ家の玄関のチャイムを押した。

「どうぞ、いらっしゃい」
 玄関を開けてくれたのは、噂のキャゼルヌ夫人と二人の小さなご令嬢たちだった。
「初めまして」
「こちらこそ、主人がとんでもないことをしちゃって……。ごめんなさいね」
「……いえ」
「あなたがさんね? まあ、お似合いの二人だこと」
「ありがとうございます」
 そんな会話を交わしたところで、ようやく家の主が姿を現す。
「よく来てくれたな」
「……お招きいただいて、ありがとうございます」





 
思いがけないことに動揺するダスティ・アッテンボロー氏。でもそこが(以下略)。
2019/7/15up
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