プロローグ

 夢を見ていた。
 鳶色のまっすぐな髪の少女が近所の悪ガキにからかわれ、自分も一緒になって撃退した末に安堵のためかぽろぽろと涙をこぼす様子を見て、思わずこう言ったことを覚えている。
「だいじょうぶだよ、はぼくがまもるから」
「……うん、ありがとう」
 涙で顔をくしゃくしゃにしながらそう言って笑った少女の顔はとてもうれしそうで――


 幸せな記憶は、そこで唐突に途切れた。
「……夢か」
 あらためて言うまでもない。無機質な官舎の天井を見ながら、ため息をつく。夢の中の自分と彼女は幼年学校前だから、少なくとも20年以上前の記憶である。彼女にしばらく会っていないとき、彼は必ずこの夢を見るのだった。
(最後に会ったの、いつだったっけ)
 寝起きなのと人並みの記憶力も相まって、すぐには思い出せない。2週間以上1ヶ月未満といったところか。
 ベッドから起き上がり、そばに置いている私用の端末を手に取る。彼女に連絡しようとしたところで、彼は顔をしかめた。発信者を確認して、眉間の皺がさらに深くなる。

(……消すか?)
 迷ったのは一瞬だったが、さすがにそれは……とためらいつつ画像と音声を再生させる。浮かび上がったモニターの中の人物は、彼によく似ていた。
『息子よ、今何をやっている。同盟首都ハイネセンにいるんだから、たまには顔を見せんか。ところでお前は予想外に軍人の才能があるみたいだが、それにしても恋人くらいいないのか? お前は例の条件を知っているだろう。いい加減に勇気を出さないでもたもたしてると、誰かに取られても知らんぞ』
「うるせえ、このくそ親父。それくらい分かってる」
 相手に聞こえないと分かっていても、毒づかずにはいられない。

「最悪だ……」
 せっかくの夢の余韻が台なしである。次からは問答無用でメッセージを消そうと固く決意し、その記憶を上書きすべくある番号に通信をつなぐ。
『……おはようございます、准将閣下』
「おはよう」
 端末から聞こえてきたのは機嫌の悪い声で、しかも映像は送信されていない。朝に通信して彼女が上機嫌だった試しはないのだが、それにしても今日は筋金入りである。
「また声だけか」
『こんな朝早くにメイクしてるはずないでしょ』
「しても大して変わらないだろうに」
 彼はそれを褒め言葉として言ったつもりだったが、彼女は逆の意味で受け取ったようである。

『……准将閣下がわたしのメイク前の顔を最後に見たのはいつなのよ。士官学校時代?』
 改めて問われると、確かにそのくらい前でもおかしくない。いつだったかと真剣に考え始めた彼に、彼女は最後通牒を突きつけた。
『無駄話するためにかけてきたなら切るわよ、准将閣下。朝は忙しいんだから』
「悪い」
 階級に閣下の敬称を付けて連呼されるということは、すなわち彼女の機嫌が相当に悪いことを意味する。ここで切られてしまっては、何のために通信したのか分からない。率直に謝ったのが効いたらしく、彼女の声の険が和らいだ。
『……で、何の用なの』
「久しぶりに会わないか」
『言うほど久しぶりでもないと思うけど、いつ?』
「今週末、19時に黒猫亭で」
『分かったわ』
 思ったよりあっさり約束を取り付けられて、正直なところホッとする。


『……何よ』
「何でもない。今週末、楽しみにしてる」
『ええ』
 声だけなので表情はうかがえないが、約束を取り付けられたことには満足だった。返事を聞いてから通話を切り、出勤するための支度を始める。
 軽くシャワーを浴び、戸棚からシリアルを出して皿に盛る。立体TVを付けて冷蔵庫から牛乳を取り出し、皿に入れ始めたのだが……。
『ここで臨時ニュースをお伝えします。第13艦隊が、イゼルローン要塞を陥落させました。同盟軍に被害は確認されていません。繰り返しお伝えします。第13艦隊が、イゼルローン要塞を奪取した模様です』

「……何だって?」
 思わず声が出た。ふと気づくと皿から牛乳がこぼれそうになっていて、慌てて我に返る。
「先輩……だよな? でも、どうやって……」
 第13艦隊は先日発足したばかりである。通常の半分の兵力しかない兵力で、あの難攻不落のイゼルローン要塞を陥落させるとは……。
 ニュースに釘付けになりながら、彼――ダスティ・アッテンボローは牛乳の多すぎるシリアルを口に運んだ。


 宇宙暦796年5月14日のことである。




2019/3/28up

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