15

 ひとしきり食事と酒が供されると、キャゼルヌ夫人は二人の娘を連れてテーブルを去った。
「それで、おれのしたことが原因で何か困ってることはないか」
 いよいよ本題に入ったので、アッテンボローとは軽く顔を見合わせる。
「正直なところ、反響の大きさに困惑してます。おれたちは今日明日と休みなんですが、私用の端末にメールが山ほど来てまして」
「だろうなあ」
 何しろ分艦隊司令官が艦橋で旗艦の艦長と交際していると宣言したのである。話題にならないほうがおかしい。
「……噂に、変な尾鰭がついてるんです」
「ん?」
 は赤面してうつむいた。それを見て、アッテンボローが言葉を続ける。

「おれは艦橋で交際宣言をしただけなんですけどね。おめでとうとか冷やかしならまだしも、いつ結婚するんだとか、ひどいとを戦艦に乗せて大丈夫なのかとまで言ってくる奴がいるんですよ」
「……おい、それってまさか」
「そのまさかでしょう、これは」
(やったのは交際宣言だけじゃないでしょ)
 キャゼルヌとアッテンボローが顔を見合わせるのをよそに、は顔が引きつるのを感じた。宇宙船の航行には跳躍ワープがつきものだが、それは女性の出産能力に悪影響を及ぼす可能性があると言われているのだ。
(さて)
「あの、わたし……」
 は思い切って顔を上げたのだが、その顔は真っ赤である。

「宇宙に出ると体調が悪くなることが多くて、今のうちに病院でちゃんと診てもらおうと思ってたところなんです。でも、今病院に行ったら……」
「……なるほどなあ」
 キャゼルヌは吐息とともにその言葉を押しだした。
「医療関係者には守秘義務があっても、居合わせた人たちはそうじゃないですからね。心配なんで、おれも付いて行きたいところですけど……」
「いや、それこそまずいだろう」
「ええ」
 アッテンボローはうなずいた。キャゼルヌはしばらく考え込んでいたが、やがて言ったものである。
「分かった、信頼できる民間の病院を紹介しよう。おれができるのはそれくらいだからな」
「……ありがとうございます。ちょっと失礼しますね」
 は微笑んで立ち上がったが、まだ顔は赤い。


 その後姿を見てから、キャゼルヌはアッテンボローを見た。
「お前さんたち、いつから付き合い始めたんだ」
「アムリッツァ会戦の後です」
があれだけ赤くなるってことは、もうすでに噂が事実でもおかしくない状態だってことか。意外と手が早いな」
「……否定はしません」
 アッテンボローは自分も赤面していることを自覚した。
「気をつけろよ。今が戦線離脱したら、お前さんだって困るだろう」
 その言葉には笑いが含まれている。

「……理由はどうあれ、が体調不良でも困ります。もちろん、無理は言えませんが」
「そうだなあ」
「実は……こっちに来てすぐ、演習が始まったときからの体調は今ひとつで、ずっと病院に行くか迷ってたんですよ。ようやく行く気になったと思ったらこれですからねえ……。正直、まいりました」
 アッテンボローは苦笑いした。
「しかしお前さんはおれより8つも下なのに、もう同じ少将だもんなあ」
「……手取りはキャゼルヌ先輩のほうが多いはずです」
「そりゃそうだ、おれには扶養家族がいるから」

 キャゼルヌはそう言って笑ったが、次に言い出したのは完全に予想外のことだった。
「で、お前さんたち。結婚は?」
 その言葉に、アッテンボローは思わずビールに噎せたものである。
「……何を言い出すんですか、突然」
「悪い。でも、噂が立ってるなら真実にしてしまうのも一つの方法だろう? あ、でもお前さんは独身主義だったか」
 アッテンボローはまた苦笑しながら首を横に振った。
「いえ、それはいいんです。何かのときに、そう言っておけばいいと思っただけなんで」
「こうなれば主義は返上、か」
「はい」

 そう答えてから、アッテンボローは頭をかく。
「……いずれはしたいですけど、当分は無理ですね」
「理由は?」
「おれがと同じくらい家のことができるまで、絶対に一緒に住まないとはっきり宣言されてます。特に問題なのが料理です」
「なるほど。まあ、の気持ちも分かるが」
 その言葉はアッテンボローにとって意外なものだった。
「そうですか?」
「ああ。お前さんたち、二人とも従卒をつけてないんだよな」
「はい」
 キャゼルヌにとって、これは重要な確認事項である。
「じゃ聞くが、お前さんたちが結婚したとして、が仕事を辞めると思うか?」
 アッテンボローは質問に目を見開いたが、すぐにはっきりと首を横に振る。
「いいえ。それに、そんなことはおれも望んでいません」

「だよな。ということは、もし結婚しても二人で一緒にいられるメリットより、二人分の家のことをやる――というかやらなきゃいけない、そのデメリットが上回るっては考えてるんだろうよ。まして、体調に不安があるならなおさらさ」
「そうですね」
「女性のほうが現実的だからな」
「……すごくよく分かります。さすがキャゼルヌ先輩」
 アッテンボローはうめくようにそう言った。
「でも、よかったじゃないか。大事にしろよ」
「もちろんです」
 アッテンボローがそう言ったとき、が戻ってきた。
「どうしたの?」
「いや、何でもないよ」


「そういえば、。お前さん、アムリッツァ会戦後にえらい剣幕でうちの部下に詰め寄ったんだって?」
「…………」
 こういうときのキャゼルヌは実に意地の悪い顔をするので、は沈黙した。
「人違いか? 旧第10艦隊所属の若くて美人の駆逐艦艦長って聞いて、ピンと来たんだが」
「……いえ、わたしです」
「確かに頼りない奴だけど、あんまりいじめてくれるなよ」
「すみません」
 は先ほどとは違う意味でまた盛大に赤面する。
「あのときは、ダスティがわたしに断りなく旗艦の艦長をって話を持ちかけて、とてつもなく腹が立っていたので……。ほとんど八つ当たりでした」
「……おれのせいなのか」
「そうよ」
「すみませんでした」
 揃って頭を下げるアッテンボローとを見て、キャゼルヌは笑った。


 適当なころ合いを見計らってキャゼルヌ家を辞去すると、アッテンボローとは帰途に着いた。駅に向かう途中で、がふと振り返る。
「びっくりするくらい上手く行ったわね」
「ああ。ま、が席を外してるときにいろいろ言われたけどな」
「……そう、何て?」
「秘密」
 二人が立てた作戦は「噂を多少誇張して被害を話し、キャゼルヌの情に訴えて病院を紹介してもらう」というもので、そのためには意図的にずっと赤面し続けたのだ。
「ダスティはこれからどうするの?」
「……もしよければ、の家に泊まりたい。材料がないなら、食事は作らなくていいから」
 手をぎゅっと握り、の顔を見つめてそう言うと、は微笑んだ。

「これから買い物して帰れば、明日の朝ごはんを作れるわよ」
「……体調は大丈夫か?」
「うん。でも……今日、生理になった」
「そうか」
「頭痛がしたのはそのせいかなあ」
 はそう言って首をかしげる。
「うーん、どうだろう。でも、病院で診てもらえばはっきりするさ」
「そうね」
 そう言って笑う様子を見る限り、は病院に行くことについて、気持ちが固まったようだ。
(あとは大したことがないといいけど)
「どうしたの?」
「……何でもないよ」
 アッテンボローはそう言って笑った。


 そして、休み明けの19日。は自宅のホーム・コンピューターの表記が帝国公用語から同盟公用語に変更されていることに気づいた。
(さすがキャゼルヌ少将だわ)
 それにしても、イゼルローンに到着してまだまる3日経っていない。にも関わらずこれでは、舌を巻くしかなかった。
(よっぽど要望が多かったのかしら)
 これで確実にストレスは減る。それはいいのだが……。
(あんまり笑ってもいられないか)
 家を出るころには、は表情を引き締めた。あの後も、私用の端末には噂の類がひっきりなしに入って来たのだ。本人にこれだけ来ているのだから、周囲はもっとすごいだろう。成り行きとはいえ目立つことをやった報いだが、避けては通れない。
(とにかく、毅然としていること)
 は自分にそう言い聞かせ、家を出た。


「おはようございます」
 オフィスに着いていつものように挨拶をすると、ベイリーが弾かれるように立ち上がった。
「おはようございます、艦長。お身体の具合はいかがですか?」
「お陰さまで、休んだらよくなりました」
「それは何よりです。あの……大変失礼で申し訳ないのですが、小官はいろいろな噂を聞いてしまったのですが」
「…………」
 明らかに言いよどむベイリーを見て、ははっきりと眉をひそめた。

(と、いうことは……)
「それは、わたしが戦艦に乗っても構わないかということですか?」
「……はい」
(冗談でしょ)
 どうやら、噂は多少の誇張では済まないレベルにまで大きくなったようだ。は心の中でそう毒づいたが、口に出したのはまったく別のことである。
「……みんな揃うまで、返事を待っていただいてもいいですか。あまり何度も話したいことではないので」
「かしこまりました」
(まったく……)

 いつもオフィスで過ごしている4人はやはり噂が気になったらしく、誰からともなく出勤時刻よりも早い時間に姿を現した。
「おはようございます、艦長。あの……」
「後で言います」
「……失礼いたしました」
 この会話を正確に2人に繰り返す。全員が揃ったのを待って、は口を開いた。
「おはようございます。早いですが、ミーティングを始めます。まず、先日からプライベートのことでお騒がせしていて、申し訳ありません」
 は一度言葉を切った。

「無責任な噂が広がっているようですので、ここではっきり申し上げておきます。わたしはアッテンボロー提督と交際しているのは事実ですが、それ以外は事実ではありません。特に、妊娠していないことははっきり申し上げておきます」
 部下たちに罪はないことを知っていながら、は鋭い視線で4人の幹部たちを見渡した。
「目に余ることは、今後、しかるべき措置を取ります」
 わたしを怒らせてタダで済むと思うなよ――。の琥珀色の瞳ははっきりとそう物語っていた。なまじ美人であるだけにその迫力はすさまじい。

「今回の噂には小官も憤慨しております。うちの艦長とアッテンボロー少将は、そんな人じゃありません」
 力強くペトルリークがそう言うのを聞いて、の表情は自然と緩んだ。
「そうですね、みんなで否定しましょう」
「もちろんです。な、セシル」
「ああ」
 ハールマンにノールズとベイリーまでがそう言い出し、は思わず目頭が熱くなるのを感じる。
「すみません、みなさん……。でも、ありがとうございます」
 がそう言ったとき、オフィスの端末が着信を告げた。


 そして同じころ、アッテンボローは執務室にある人物を迎えている。
「……おはようございます、参謀長」
「おはようございます。お手数ですが、中佐を呼んでいただきたい」
「……はい」
 何の用件かは聞くまでもなさそうだ。アッテンボローはすぐに執務室の端末を手に取り、隣の部屋にいるを呼び出した。


『おはよう。艦長に、今すぐおれの執務室に来るよう伝えてくれ』
「かしこまりました」
 通信を取ったベイリーはそう答えた。はモニターから聞こえてくるアッテンボローの声にわずかな違和感を覚え、首をかしげる。
「艦長、というわけで少将がお呼びです」
「今わたしが呼び出されたということは、ほぼ確実に今回の件でしょうね」
 むしろ、それ以外は思いつかないと言っていい。は心配そうにこちらを見つめる4人の部下たちに、意識して笑いかけた。
「大丈夫ですよ、そんなに心配しなくても……。それでは、行ってきます」
「……行ってらっしゃいませ」


「おはようございます。中佐、まいりました」
「入ってくれ」
「失礼いたします」
 の疑問は執務室に入ってすぐに氷解した。ノックといつものやりとりを経てドアを開けると、そこにはアッテンボローの他にムライがいたのである。
(なるほどね)
 その思いを顔に出さず、まずは敬礼する。
「……おはようございます、参謀長。そして、初めまして。メイヴ艦長の中佐です」
「ああ、おはよう」

 はそう言ってちらりとアッテンボローを見た。小さくうなずいたアッテンボローが自分の席から立ち、の隣にやって来る。
中佐、座ってくれ」
「……失礼いたします」
 ソファにムライとアッテンボローが向かいあい、はアッテンボローの隣に座る形になる。そして、は意識して背筋を伸ばした。
「さて、ではご用件をうかがいましょう。だいたい想像はつきますが」
 アッテンボローはまっすぐムライを見てそう切り出したが、その声はいつもよりわずかに緊張しているように思える。
「その通りだ」
 ムライは探るような目でアッテンボローとを等分に眺めた。

「では、お答えします。おれたちが交際しているのは事実ですが、それ以外は事実ではありません」
 アッテンボローは明確にそう答えた。
「そうか。ついでに、その……中佐、不躾なことを聞いて大変申し訳ないが……」
 赤面し、明らかに言いづらそうにするムライを前に、アッテンボローもを見る。これはに答えてほしいということだろう。は意識してにっこり微笑んだ。
「ご心配には及びません、わたしは妊娠しておりませんので。何なら病院を受診して司令部に診断書を提出いたしますが?」
「いや、結構」

 ムライはそう言って大きく息を吐いた。さて次はどう出るかと二人が身構えたところで、不意に立ち上がる。
「では、失礼するとしよう」
「え?」
 今度はアッテンボローとが困惑する番だった。
「……これでよろしいのですか、参謀長?」
「ああ」
「正直なところ、交際についても何かおっしゃるかと覚悟しておりました」
「……小官もです」
 それがアッテンボローの本音であり、も同意する。そんな二人を見て、ムライは笑った。
「きみたちは自分たちの意志で交際してるのだろう? だったら、外野があれこれ言う必要はない」
「……それは、そうですが」

「アッテンボロー少将のことは知っていたが、今回、中佐のことを少し調べさせてもらったよ」
 ムライはそこで言葉を切った。
「……中佐がアッテンボロー少将の推薦で戦艦メイヴの艦長になったのは事実だが、それも統合作戦本部の承認を受けてのことだ。手続きに何の問題もないし、アムリッツァ会戦の前哨戦と本戦の運航データを見れば、アッテンボロー少将が旗艦の艦長にと招きたくなるのはよく分かる。非常に勉強熱心で評判もいい上、要塞防御システムの責任者だ。貴官からすれば余計なお世話だろうが、そんなにあれこれ任せて大丈夫かとさえ思う」
 ムライはそう言ってまた言葉を切った。
「私が心配していたのは、先ほどの不躾な噂の部分だよ。さすがにそれは聞き捨てならないと思って、こうして確認に来たわけだ。そうでないなら、今後、私は噂を否定する側に回ろう」
「ありがとうございます」
 そう言ったアッテンボローに対して、ムライは次にに視線を向ける。

「それから……アッテンボロー少将を止めたいときには、中佐に話をすればよさそうだと分かった」
 どこか期待のまじる言葉に、は苦笑いする。
「かいかぶりすぎです、参謀長。小官が言ったところで提督は止まりませんよ」
「そうかな? 私が言うよりもはるかに効果がありそうだが」
「……それは、そうかもしれません」
 はさすがに赤面した。
「いずれにせよ、何も心配はないな。では、これで失礼する」
「ご心配おかけして申し訳ありませんでした」
 アッテンボローとは立ち上がって敬礼し、執務室を出るムライを見送った。


「……ありがとう、ダスティ」
「ん?」
「この間の艦橋といい、今日といい、ちゃんと対応してくれて……すごく、うれしい」
「ま、こういうものは男が主導すべきだからな。おれのほうが階級も高いし」
「それでもよ」
 は続けてそう言ったが、今の時間は仕事中なのである。次は意識して言葉遣いを改めた。
「……用事が済んだようなので、オフィスに戻ってもよろしいですか」
「そうだなあ、残念だけど」
 それでもただ帰すのが残念な気がして、素早く唇を重ねる。
「では、失礼いたします」
 そう言ったの頬は、わずかに赤かった。


(こういうときは一緒にいるとかえって噂になるかなあ)
 昼休み、はふらりと一人で士官食堂を訪れた。なるべく目立たない席に座って食事をしていても、気を抜くとため息が出る。あからさまに好奇の視線にさらされているのは、どう考えても愉快ではない。
中佐、ここに座ってもよろしいですか?」
「……どうぞ」
 の正面に来たのはルーデル少尉だった。
「あなたも噂を聞いたの?」
「……はい」

「あらかじめ言っておくけど、事実なのは交際してることだけよ。それ以外はばかばかしくてコメントする気にもなれないわ」
「ですよね。私……いえ小官はそうだと思っていました」
「…………」
「変な噂なんか気にしちゃだめです、艦長。何か聞かれたら、私も力いっぱい否定しますから……!」
「ありがとう」
 がそう言って微笑んだところに、聞きなれた声がする。


「邪魔するぞ」
「提督……」
 アッテンボローはいつものようにの隣に座った。
「正直なところ、仕事に集中できなくないか?」
「ええ。午後から例の会議だし」
「そうだな」
「……まあ、ベイリー少佐もペトルリーク大尉も、今回のことを聞かれたらきっぱり否定してくれるでしょうけどね」
 さすがにいつもより声は低い。
「そうだ。ヤン提督から、今月末に大規模な艦隊運用演習をするって話があったから、そろそろ準備に取りかかるぞ」

「いつ?」
「30日」
「分かったわ」
 はうなずいた。その様子を見ていたルーデル少尉が笑う。
「お二人は……何と言うか、恋人とも友だちとも違うような、独特のものを感じます」
「おいおい、これでも正真正銘の恋人なんだぜ」
「それでも、です」
「ありがとう」
 は笑いながら二人の会話を遮った。
「わたしは心からお二人を応援いたしますっ」


 そのころ、事務管理本部を一人の長身の男性が訪れていた。
「失礼します。要塞事務監にお目にかかりたいのですが」
「……少々お待ちください」
 受付の男性はすぐに要塞事務監に連絡を取った。
「どうぞ、こちらへ」
 そうして案内されたオフィスの主は、訪問者に目を見張ったものだ。
「貴官は……」
「お久しぶりです、キャゼルヌ少将」
「こちらこそ、シェーンコップ准将」
 シェーンコップはキャゼルヌに笑みを浮かべて見せた。

「着任おめでとうございます。ただ、今日うかがったのは着任祝いを述べるためではありません。先日の一件をご存じですか?」
「先日の一件? いや、何も」
 オウム返しに問い返す様子を見て、シェーンコップは表情を改める。
「ご存じありませんか」
「……まったく初耳だ。何があったか、詳しく聞かせてもらえないか」
「かしこまりました」
 シェーンコップはそう言って、事件の概要を簡単に説明した。
「麻薬中毒らしき兵士が夜勤明けのMPを人質に取ったと連絡がありましてね、ユリアンにちょっと手伝ってもらって、小官が解決いたしました」

「ほう」
 キャゼルヌは何と言ってもみようもない、といった様子である。
「それはいいのですが、ここに他にも麻薬中毒の兵士がいたら大変です。なるべく早く、全員を対象にした麻薬の血液検査をしていただきたい」
 確かにそれは捨ておけることではないので、キャゼルヌはすぐにうなずいた。
「分かった。早急に手配しよう」
「ありがとうございます」
「さて、どこから予算をひねり出すかな」
 そう呟く様子は、楽しげですらある。


「艦長、会議が終わりました」
「お疲れさまです、ベイリー少佐。それに、ペトルリーク大尉も」
 は微笑んだ。ベイリーが言いづらそうにしている様子を見て、次に出る話題の見当がつく。
「……例の件を聞かれたので、きっぱり否定しておきました。直接それを尋ねるのはセクシャル・ハラスメントに当たるし、艦長は完全に臨戦態勢で訴える気満々だと言ったら、尋ねたほうは明らかに怯んでおりました」
「……ありがとうございます」
 は苦笑いした。

「これだけきっぱり否定すれば、噂もじきに落ち着くでしょう。それでも何かあれば、本当にこちらから艦長のおっしゃる通り、しかるべき措置を行うだけです」
「そうですね。でも、やりすぎないようにお願いしますよ」
「……失礼いたしました」
 は小さく息を吐いたとき、私用の端末が振動する。
「ちょっと失礼します」
何となく予感がした。オフィスを出て人気のないところへ移動してからディスプレイを見ると、そこには予想通り、キャゼルヌの名前が表示されている。


「……お待たせしてすみません、キャゼルヌ少将」
『今、大丈夫か?』
「はい。個人的なことを話しても問題ないところに移動してきましたので」
『そうか、悪い』
「いえ」
は意識して微笑んだ。
『お前さんに頼まれてた病院、見つけたぞ』
「早速、ありがとうございます」
『詳しいことはメールで送るから、あとはそっちでアポを入れてくれるか』
「もちろんです」
『今回は悪かったな、本当に』
「いえ、もう気にしないでください」
『ありがとう。またうちに夕飯食べに来てくれ。家内や娘たちもお前さんを気に入ってたよ』
「……こちらこそ、ありがとうございます」


そう言って通信を切ってすぐに、病院の名前や所在地が記されたメールが送られてくる。
(ここに行くのはいいけど……)
さすがにいつでもいいわけではないだろう。そして、は自分の……と言うより、分艦隊の予定を完全に把握しているわけではない。
(…………)
は首を振り、そのままオフィスに戻らずアッテンボローの執務室へと向かった。
「どうした?」
「キャゼルヌ少将がさっそく病院を調べてくれたんだけど、いつ行けばいいかしら」
「そうだなあ」
アッテンボローは端末に予定を表示させた。
「そういえば、今月後半の予定はまだ立ててなかった」
 その言葉は、の知りたいこととは微妙にずれている。休みの相談もいいが、それより……。

「……せっかくだし、あんまり遅くならないうちに行きたいんだけど」
「じゃ、今週中に行くといい」
 はうなずいた。
「これからはが病院に行く日をデスクワークにしようか?」
「ダスティ、それはやりすぎよ」
「それもそうか。ま、でものいいようにしてくれ」
「ありがとう」
はその場で病院の予約を入れた。
「いつ?」
「23日の午前中」
「分かった。ついでだから、半休の申請もして行ったらどうだ?」
「そうね」
は微笑んだ。


用事を済ませてオフィスに戻ると、ベイリーがを見る。
「艦長、さきほど少将の許可済みの艦長の休暇願いが送信されてきたのですが」
「ええ」
「……差し支えなければ、どんな用事で休まれるかお聞かせ願えませんか?」
それは単なる好奇心だろうか。決して愉快ではなかったが、はいつも通り、穏やかにこう言った。
「ではベイリー少佐が休暇の申請を出したとき、同じように質問しても構いませんか」
メイヴの乗員の休暇申請は、当然ながらに提出されるのである。ベイリーはすぐに自分の非を悟った。
「……大変失礼いたしました、艦長」
「いえ……。ただ、今回はみなさんにも関係するのでお話しします。宇宙に出ると体調が悪くなることが多いので、一度、ちゃんと病院で診てもらおうと思ったのです」
「そうでしたか」
「ええ。ただ、言いたくないときは言いませんし、みなさんにも聞きませんよ」
「……ありがとうございます」


イゼルローン要塞に来て1ヶ月半が経過しているが、少なくとも部下に恵まれたのは間違いないように思えた。
(幸運だわ)
 ひそかにそう思い、は笑みを浮かべて部下たちを見渡す。
「いかがいたしました?」
「何でもありません。これからもよろしくお願いいたしますね」
「それはこちらの台詞です、艦長」
「ありがとう」
 は今度こそ微笑んだ。





 やっと1巻が終わりました……。
2019/7/19up
←Back Index

このサイトに掲載するのは、この話が最後です。
続きを載せたサイトのURL請求はこちらの専用メールフォームか、あるいはtwitterでどうぞ。
inserted by FC2 system