09

 昼休みが終わって、は自分のオフィスに戻った。
「戻りました」
「お疲れさまです」
 部下たちの顔を見ながらデスクに座る。
(あんな昼休みじゃ、どっちがいいのか微妙だわ)
「いかがいたしました、艦長」
 思わずため息をついたところをペトルリークに目ざとく見つけられたらしい。問いかけられ、は苦笑いした。
「いえ、何でもありません」
「……そうですか」
「今年も終わりですね」
 そう言い出したのはベイリーである。
「ええ。先ほど、士官食堂で提督やラオ中佐もそうおっしゃっていました。アムリッツァ会戦の後は怒濤のようだったと」
「……同感です」

 やはり、誰にとっても同じような感慨なのだろう。
「艦長は新年のパーティに行かれますか?」
 今度はノールズがそう言ったので、は微笑みつつも内心で警戒した。
「行きますが、カウントダウンまでいたら失礼するつもりです。そろそろ本当に要塞防御システムに取りかからなければいけないので……」
「なるほど、大変ですね」
「ええ」
 大変でないと言ったら嘘になるが、現時点ではさほど負担に感じているわけではない。
「そうだ、その準備をしないと」
 ふと思いついてそう呟くと、今度はハールマンが反応した。
「艦長はご自宅でお仕事をなさるつもりですか?」
「はい」
「……無理なさらないでくださいね」
「お気遣い、ありがとうございます」
 結局どこに行っても自分は体調を心配されているようで、は苦笑いした。


 定時から新年パーティ開始までの時間はちょうど3時間であり、会場までの移動を考えてもかなりの間が空く。
「艦長はお一人で会場に行かれます?」
「そのつもりです。パーティが始まるまで、どこか適当な店でぼーっとしていますので」
 あらかじめ考えていた通りの言葉である。
「アッテンボロー少将とご一緒されないのですか?」
 そう言ったのがペトルリークだったので、はキーボードを叩く手を止めた。
「……いえ、特には」
「そうですか、失礼いたしました」
「少将は艦長のことを心配されていましたね、確か」
 そう言ったのはベイリーである。この話題が出ることも予想していたので、は動じない。
「わたしも軍人ですから、自分の身くらい自分で守れるのですが」

 苦笑いすらなくそっけなくそう呟くと、珍しくベイリーが食い下がる。
「いや、少将が艦長を心配される理由は別でしょう」
「それが何であれ、わたしは別に興味ありませんが」
「……大変失礼をいたしました、艦長」
(あんまり言うとダスティと一緒に居づらくなっちゃうかなあ。でも、会場でみんなに会うとは限らないか)
 はそう思ったが、顔には出さなかった。モニターに表示したデータを保存して電源を落とすと、さっと立ちあがる。
「みなさん、今年はお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
「では、先にパーティ会場へ行っていますね」
 それだけを言って、は先にオフィスを出た。


 が出て行くと、部下たちはお互いに顔を見合わせた。
「セシル、お前……」
「ああ、またやっちまったよ」
 言葉通り、ベイリーは苦笑いした。
「少将と艦長はどのようなご関係なのです?」
 そう言ったのはハールマンであり、彼はこの中でいちばん事情に疎いのだ。
「士官学校の同期だとご本人たちはおっしゃっていますが、気づきませんか?」
「……少将は艦長のことをずいぶん気に入っていらっしゃる、とは思っていました」
「ええ。そして小官の知る限り、少将はさほどフェミニストではありません」
 ベイリーは断言した。そうなると、意味することは一つしかない。
「では、艦長に特別な感情をお持ちと……?」
「間違いないと思います」
 ノールズがそう口を挟んだ。

「なるほどねえ。では、艦長のほうはどうなのでしょう」
「それが分かれば……。意外と両思いかと思うときもあれば、先ほどのように質問自体を完全にシャットアウトされるときもありますし」
 ベイリーの言葉は苦笑まじりである。
「……一般論ですが、プライベートを部下に詮索されて喜ぶ人はそういないかと」
「それもそうですね」
 ペトルリークが静かにそう言うと、他の3人は顔を見合わせた。
「ええ。ただ、小官もお二人はとてもお似合いだと思っているのですが」
「艦長にそれを言ったことは?」
 ベイリーの問いかけに、ペトルリークは一瞬だけためらった。
「ありますが、困惑されていました」
「そうですか……」
 ベイリーが吐息とともにそう言う。結局、たどりつく結論はいつも同じなのである。
「ペトルリーク大尉の言うとおり、あんまり詮索しないほうがよさそうだなあ。特にセシルは気をつけろよ」


「……でも、艦長や少将はこっちの動きに気づいてるよな?」
「おれが言ったそばから何だ。そりゃ当然だろう」
「ベイリー少佐。少将はもちろんですが、艦長もその気になれば小官らが疑問を感じてもそれこそ無条件でシャットアウトできる方ですよ。これは仕事上の案件ではないのですから」
「そうですね、すみません」
 上官がいない気楽さか、年末で仕事の区切りがついているからか、なかなか話は止まらない。
「もしあのお二人が交際しているとして、何か問題があるのでしょうか?」
 ハールマンがそう言うと、ベイリーとノールズは顔を見合わせた。一方できっぱりと言ったのはペトルリークである。

「少なくとも、艦長は独身でいらっしゃいます。少将はいかがですか?」
「もちろん独身ですよ。第10艦隊に所属しているときから士官食堂でポプラン少佐とよく一緒にいらっしゃいますが、今まで浮いた話はまったく聞いたことがありません」
「それなら、何も問題はない」
「……そろそろこの話はやめませんか。ここであれこれ話していてもきりがないです」
 さすがにペトルリークがそう言うと、他の3人は顔を見合わせた。
「お二人の関係がどうであれ、上手くやってらっしゃる以上はそう心配もないでしょう。必要があれば、きっと話してくださいますよ」
「そう思ったほうがよさそうですな」
 ハールマンはそう言って笑った。


 新年パーティの会場は、司令部を始めとする軍関係の施設と商業地域のちょうど中間にあった。ちなみに待ち合わせ場所は長居しやすいファミリーレストランである。
(軍服で入るのは抵抗あるなあ)
 ざっと店内を見渡す限り、軍服の人影はごく少ない。
「いらっしゃいませ、一名様ですね?」
「待ち合わせで、後からもう一人来ます」
「かしこまりました」
 案内された席に座り、はせめてベレー帽を脱いだ。端末を取り出してアッテンボローに「着いた」とメールを送ってから、何気なくメニューを繰る。
(ここである程度は食べておいたほうがいいかも)

 パーティというくらいだから食べ物を出す場所もあるだろうが、きちんと食べられるとは限らない。どうしようかと迷っていたら、端末が振動した。
『そうか、待たせてごめん。おれももう少しで着く』
 ということは、もう司令部は出ているのだろう。はまた素早く端末を操作した。
『ううん、気にしないで。じゃ、注文しないで待ってる』
(デートの待ち合わせ、か……)
 は小さく息を吐いた。交際する前に外で会っていたのを「デート」とするならば、基本的にはアッテンボローを待ったことはない。それは、イゼルローンに来る途中で士官クラブガンルームに呼び出されたときも同様である。

(いつもダスティは早く来てわたしを待っててくれたのね)
 ファミリーレストランに軍服でいるせいなのか、それとも恋人を待っているからなのか。はどうも落ち着かなかった。時間が過ぎてきて、同じことを考えているらしい軍服姿がぽつぽつと増え始める。アッテンボローが来たのは、そんなときだった。
「ごめんな、待たせて」
「ううん、大して待ってないわ」
「こういう店は久しぶりだ」
「わたしも」
 急いで来たらしいアッテンボローが出された水を一気に飲む様子を見て、は微笑んだ。そして、意識的に声を低める。
「誰が聞いてるか分からないから、敬語で話すわね」
「……分かった」


「ここで食事されます?」
「そうだなあ。パーティが始まるまでずいぶん時間があるし」
「分かりました。では、小官も」
 がそう言ったところで、アッテンボローはもう無理だと言わんばかりに大きく首を横に振った。
「だめだ、普通に話してくれ。おれが許す」
「そう?」
「ああ。それじゃ、こっちが落ち着かない」
「分かったわ、ごめんなさい」
 は笑った。
 食事と飲み放題のドリンクを頼むと、アッテンボローは小さく息を吐いた。
「どうしたの?」
「いや、やっぱり軍服だと落ち着かないよな」
「ええ。提督は特にそうでしょうね」
 何と言おうか迷ったが、結局、はアッテンボローのファースト・ネームを呼ばないことにした。そして、アッテンボローはすぐに反応する。

「名前、呼んでくれないのか?」
「さすがにここでそれは勘弁して」
「……それもそうだな」
 ざっと見る限り幕僚はいないが、どこで誰がつながっているか分からない。そして、アッテンボローが改めてを見る。
「どうしたの?」
「いや、はいつまでおれの旗艦の艦長をしてくれるかなと思って」
 その言葉に、は吹き出した。
「今の提督って、娘が生まれた瞬間にその娘が結婚するところを想像してる父親みたい」
「……そうかもな」
 慣例にしたがえば旗艦の艦長を務める階級は中佐と大佐である。その次の准将になればもう職務は分艦隊司令官、すなわち艦隊指揮官だし、そうでなくても大佐になれば小集団の――すなわち中級指揮官になることもできるのだ。
「……は大佐になったら中級指揮官になりたいと思うか?」
 それは、アッテンボローにとってきわめて重要事項である。

「うーん……どうかなあ。でも、そんなに戦いが続くかしら」
「分からないぞ。何しろ先輩は今年一年で准将から大将になったんだから」
「それはそうだけど、今後は戦いのたびに昇進するとは限らないんじゃない? そんなことになったら、提督もあっという間に元帥よ」
 がそう言うと、アッテンボローもあることに気づく。
「ん? ということは、そうなったら先輩もとっくに元帥じゃないか。何しろあと一つだもんな」
「ええ、そうでしょうね」
「おれと先輩が元帥って、どんな軍隊だよ……」
「確かに」
 は笑った。ヤンとアッテンボローは「自分から望んで軍人になったわけではないのに若くして出世が早い」一点が完全に一致しているのだ。軍人になりたかった、あるいは出世を望んでも果たせない人間から見れば、理解しがたいだけでなく、認めがたい存在に違いない。


 注文した料理が運ばれてきて、食べながら会話は進む。
「もし提督が中将に昇進したら、わたしはどうなるの?」
が艦長であることを希望するなら、今とさほど変わらない。たぶん一緒に大佐に昇進するだけだろうな」
「じゃ、メイヴが分艦隊旗艦から艦隊旗艦になるだけ?」
「ああ」
 少なくとも、アッテンボローは心からそれを望んでいるのだが……。
「問題はその次なんだよなあ」
 は笑った。
「気が早いわよ。いつわたしがその前の大佐になるかも分からないんだから、そうなってから心配すればいいのに」
「分かってる。でも、おれはと離れたくないんだ」

 率直な言葉に、は赤面する。
「……その前にわたしはちゃんと旗艦の艦長が務まるのか、今でも不安なんだけど。あと、艦長と指揮官に必要な資質って微妙に違わない?」
 その言葉に、今度はアッテンボローが笑った。
「それについては全然心配してない。訓練のデータを見ても、ちゃんとメイヴは他の戦艦の見本になってるじゃないか。おれはアムリッツァ会戦よりよっぽど安心して乗ってられてるし、艦隊の指揮に専念できてるぜ。それにもしが指揮官になっても、ちゃんとやって行けるよ」
「……ありがとう」
 だからこそ、もしが大佐に昇進して中級指揮官になることを希望するのであれば、そのときは彼女を手放さなければならないのだが、もう一度それを聞くのはためらわれた。

「おれが心配してるのはの体調だけだ」
 そう言われると、は沈黙するしかない。
「ごめんな、何度も言って」
「……うん」
「決めた。おれがを手放すのはが指揮官になるときか、ドクターストップが出たときだけにする」
 あえて話を戻したのは、を落ち込ませ続けないようにするためだろう。その配慮をはありがたく思った。
「もし、いつかわたしが指揮官になったとして……」
「ん?」
「司令官を選べるなら、提督の艦隊の分艦隊司令官か、中級指揮官になりたいな」
「……ありがとう」
 アッテンボローは破顔し、の手をぎゅっと握った。


 軍服姿なので家にいるときと同様というわけにはいかないが、それでも充分にリラックスして時間を過ごす。
「やっぱり外で長居するならこういう店に限るなあ」
「ええ。わたしたちにはあんまりないシチュエーションでしょうけどね」
「確かに」
 二人とも、外で長居するくらいなら家に帰るほうが気楽なのである。そして、みんな考えることは同じようで、食事時の時間になると軍服姿の人影は目立って増えてきた。
「周りにこれくらい軍服がいると気が楽だよ」
「見た感じ、将官は提督一人だけどね」
「分かってる。それはもう諦めた」
 何しろ、イゼルローンに現時点で将官は7人しかおらず、もちろんアッテンボローは最年少なのである。

「ま、ポプランやシェーンコップ准将に邪魔されなくてよかった。ここに来るとき、がもう誰かと一緒にいるんじゃないかと思って焦ってたんだ、実は」
 は笑った。
「考えすぎよ。それに、そんなに長い時間は待ってないし」
「そうか」
「あと、何か言われてもわたしだってちゃんと断れるわ」
 さすがにアッテンボローはバツの悪い顔になった。
「……それは、分かってるけど」
「そんなに心配しなくても大丈夫」
 家ではないのでそれ以上は言わなかったが、気持ちは伝わったようである。
「……ありがとう」
「そろそろ時間ね」
「そうだな、行くか」
「ええ」


 新年パーティは、100フロアの壁を取り払った吹き抜けで行われた。
「あらかじめ聞いてたけど、すごい広さだわ」
「ああ。これじゃ、ステージ近くに行くのも大変だな。早めに来てよかった」
 既にだいぶ人は集まってきており、パーティ開始前特有の、期待に満ちたざわめきがひどく心を沸き立たせる。
「どこにいる?」
「……別にこだわりはないけど、やっぱりステージの近くがいいんじゃないかなあ」
「そうね。何となくだけど、立場的にも」
「ああ」
 人が集まるにつれてざわめきは大きくなり、声を大きくしないとなかなか意志の疎通がしにくくなった。


 そして、時間どおりにパーティは始まった。司会者にスピーチを求められたヤンはこう言ったものである。
「みなさん、楽しんでください」
「…………」
 アッテンボローとは思わず顔を見合わせた。
「2秒しか話してないわよ」
「歴史に残るな」
 要塞の責任者がこれでは、後に続く人が長話をするわけにはいかない。というわけでスピーチは早々に終了し、吹き抜けの空間に花火が上がる。それを合図に音楽隊が演奏を始めると、辺りはたちまち喧騒に包まれた。
(…………)

 抜かれたシャンパンをグラスに注いでもらって口をつけると、はすぐに決意した。
「ねえ」
 大きめの声でそう言っても、目の前にいるアッテンボローは首をかしげている。
(だめだわ)
 とてもではないが聞こえない。は首を横に振ると、出口を指さした。幸い、アッテンボローもすぐに理解してくれたようだ。うなずいてすぐにの左手を取る。
(え?)
 はぐれないようためなのだろうが、顔に血がのぼったのを自覚した。は右手にシャンパンの入ったグラスを持ったまま、手を引かれるまま歩き始める。


 アッテンボローには相応の危険察知能力があるらしく、最短距離にある出口に向かう間、はビールかけの飛沫を多少かぶった程度で済んだ。ちなみに、速度は歩くのと走るのの中間くらいであり、容赦なく引っ張られている左手には痛みを感じている。大きな声で何度か呼びかけても返事はないので、これはフロアの外に出るまで話すのは諦めたほうがよさそうだった。
 ステージから最短の出口にたどり着くまでにかかった時間は10分ほどだっただろうか。ドアを開けて廊下に出ると、さすがには大きく息を吐く。
「大丈夫か?」
「……それが左手のことだったら、けっこう痛いんだけど」
「ごめん、つい」
 ドア越しにも会場の音は聞こえてくるが、さすがに会話ができないほどではない。はふと自分の右手を見た。
「シャンパンのグラス、持ってきちゃった」
「おれが適当なところへ戻しておくよ。せっかくだ、入ってる分は飲んでしまおうぜ」
「そうね」

 食事を済ませているので、グラス一杯のシャンパンを飲んだくらいでは酔わない。は早速グラスを傾けた。アッテンボローはそれを見て笑い、自分も同じようにグラスのシャンパンを飲みほす。
「で、はこれから家に帰るんだよな?」
「ええ。パーティは嫌いじゃないけど、さすがにこれはちょっと……」
「だろうなあ」
 は周りを見渡したが、人影はない。
「ダスティはどうするの?」
「あんまり考えてなかったけど、明日の……そうだなあ。昼過ぎとか夕方くらいになったら、の家に行ってもいいか? もちろん、あらかじめ連絡はするから」
「分かったわ」
 そのころには要塞防御システムの目星がついてるといいなと思ったが、はそれを口に出さなかった。


「すぐパーティに戻る?」
「いや、駅まで一緒に行くよ。さすがにそこまで行けば大丈夫だろ」
「……ありがとう」
 会場の外に出れば、騒ぎの音が聞こえてくるくらいで平穏である。二人は駅に向かって歩き始めた。
「何人くらいパーティに参加してるのかしら。だって、中央司令室や管制室は空にできないでしょ?」
「そりゃそうだ。今日の当番は貧乏クジだな」
「パーティを楽しみたい人にとってはね」
「そうか。もしかしたら今ごろ中央司令室にはムライ少将がいるかもしれない」
「確かに」

 は笑った。さほど距離があるわけではないので、すぐに駅に着く。
「要塞防御システムも大事だけど、無理するなよ」
「うん。明日、ゆっくり起きてから取りかかるわ」
「そうするといい」
 軍服を着て駅にいるとなれば、さすがに家と同じわけにはいかない。アッテンボローはそれでもベレー帽の上からの頭に手を置いた。
「わざわざ送ってくれてありがとう。じゃ、お休みなさい」
「お休み」


 駅でするにはおかしな挨拶だったかもしれないが、は微笑んでからアッテンボローに背を向けた。
(やっぱり食事しておいてよかったわ)
 短い時間しかパーティ会場にいなかったのに、意外と疲労感が強い。
(えーと……。明日の朝の分だけ買って帰ればいいわね)
 明日のことはアッテンボローから連絡があってから考えても遅くはない。頭の中で大まかにやることを決めて、は電車に乗った。
 もうすぐ年が変わろうが、一人になってしまえばただの日常である。翌日の朝食だけは忘れずに買ってから、は帰宅した。休みの前にいつもやるように、浴槽にお湯を溜めてゆっくりと浸かり、髪と身体を丁寧に洗ってリビングに戻ると、もうすぐ797年になるところだった。
(……寝よう)
 誰かがいれば一緒にカウントダウンでもして新年を迎えるのもいいのだろうが、この状態で起きている必要もない。はベッドに入ると、すぐに眠りに落ちた。


 そして目が覚めて時間を確認し、赤面してしまうのもいつも通りである。
(パーティ組は徹夜かなあ。まあ、あの中じゃ寝たくても寝れないでしょうけど)
 これに関して当面が気になるのは「アッテンボローのエネルギーがいつ切れるか」だけである。
(とにかく、やるべきことをやらないと)
 そのためにパーティに出席しなかったのだから、この機会を逃すわけにはいかない。はベッドから起き上がった。
 買って来たもので食事を済ませると、は私用の端末をデスクの脇に置いた上で私物の端末を起動させた。そこに、オフィスから持って来た資料を表示させる。
(さて、と)

 改めて、ヤンから言われた言葉を思い出す。
(「管制機能を3ヶ所に分散させて相互に監視させて、3ヶ所が同時に制圧されない限り機能を掌握されることがないようにすることと、空調システムに大気分析装置をセットして、要塞内にガスを流されないようにすること」……だっけ)
 そして、大事なことはもう一つあるのだが……。
(まずは公式なものからにしないと)
 だいたい、はまだ要塞防御システムについての概要も理解していないのである。まずはこの2つの課題を解決するうちに、極秘事項をどう設定すればいいかも見えてくるはずだ。
(何でもそうだけど、言うのは簡単よね)
 は苦笑いした。


 公式に提示された2つの課題のうち、は後者の「空調システムに大気分析装置をセットして要塞内にガスを流されないようにすること」から取りかかることにした。
(えーと……)
 空調システムに大気分析装置をセットするのはさほど難しいことではないし、おそらくどこの基地にもそういった設備はあるはずである。問題は、その大気分析装置をどこに設置するか、あるいは感知するガスをどんなものに設定するかである。
(どこに必要かって言うと……)
 司令部や中央司令室はもちろん、司令部の中でも幕僚の執務室と会議室は必須だろうか。
(それから宇宙港の軍用ゲート内とか……。単純に人が集まるところだったら商業区域も考えられるけど、そこまで必要かなあ)
 当たり前であるが、大気分析装置も無料で手に入るわけではない。あまりたくさんだと予算面からストップがかかることも充分に考えられる。

(まあ、わたしがそこまで考える必要はないか)
 それはヤンとキャゼルヌが話し合えばいいことである。そして、次に考えることは……。
(大気分析装置が感知するガスを、どんなものに設定するか)
 ヤンはイゼルローンを攻略する際、中央司令室を制圧した後に要塞内に睡眠ガスを流したと聞いている。同じ策を取られないためには、少なくとも人に影響を及ぼす前の段階でストップをかける必要があった。睡眠ガスだったから捕虜になるだけで済んだのであって、致死性のガスなら全員の命はないのである。
(となると、ガスの種類によって感知する濃度を変えるとか?)
 は首をかしげた。

(どのガスを何パーセント感知したら警報を鳴らすって設定はできるけど……)
 それ以上は化学や医学の領域であり、率直に言ってにはお手上げである。
(……これは表向きの変更だから、司令部から正式に専門家に依頼してもらったほうがよさそうね)
 そして、その対応方法でも同じことが言える。
(毒ガスを流された場合、警報を鳴らすだけにするのかしら? 対応するなら、その準備も必要だけど……)
 これについても、にできるのはハード面だけだ。
(じゃ、これはヤン提督に相談しないと)
 はこうして考え続けている。





原作を読み返してもなかなかアッテンボローの本編開始以前のキャリアは不明ですが、
おそらく大佐のときは中級指揮官だったのでしょう(単純にそれ以外が想像できない)。
2019/6/28up
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