10

 ひとしきり思考を整理した後で、次の「管制機能を3ヶ所に分散させ相互に監視させて、3ヶ所が同時に制圧されない限り機能を掌握されることがないようにすること」に考えを移す。
(管制機能、かあ……)
 一口に言っても、内容は多岐に渡る。さきほどの大気を一定の成分に保つこと、生活インフラに関わるもの――電気やガス、水の供給、軍に関係することなら宇宙港の管制機能も含まれるだろう。
 ふとあることに気づき、は端末にイゼルローン要塞の管制室の一覧を表示させた。
(何だ、ずいぶんたくさんあるじゃない)
 これであれば、3つと言わずもっとたくさんに機能を分割させてもいいはずである。それも、例えば電気・ガス・水道と大まかに区別するのではなく、もっと細かく機能を分散させたほうが安全だ。もちろん、その分システムは複雑になるのだが……。

(これもヤン提督の判断を仰がないと、かな。まあ、要所だけは決めてもらってあとは任せられる可能性もあるけど)
 何しろ、どこの管制室で主に何を管理するかは侵入者対策として重要なのである。
(……わたしが今できるのはこんなものね)
 改めて思考をたどり、は一人でうなずいた。後はヤンの判断を待ちつつ、実際にシステムを変更するためにはどうすればいいか、要塞防御システムの内容をじっくり見ていけばいい。
(その間に、例の極秘の件も考えると)
 不可能だとは思わないが、道のりが決して近くないのも確かである。が大きく息を吐いたとき、デスクの傍らに置いていた端末が振動した。


「……はい」
『おれだ。今大丈夫か?』
「ええ」
 モニターの向こうのアッテンボローはずぶ濡れで、は苦笑いする。
『さすがにエネルギーを使い果たした。これから行っていいか?』
「いいけど、自分の家で着替えてきてよ」
『……おれはそっちでシャワーと洗濯機を借りたいんだけど』
 その言葉に、は顔をしかめた。
「どっちみち着替えを用意しなきゃいけないでしょう?」
『……そうだった』
 的確な指摘に、アッテンボローは苦笑いする。

のほうはどうだ?』
「うん、お陰さまでだいたいの方向性はつかめたわ」
『昼は食べたか?』
「……ううん。もうそんな時間なのね」
 それはの正直な感想だったのだが、アッテンボローは途端に表情が厳しくなる。
『だから、無理するなって言ったじゃないか』
「無理はしてないわよ。朝起きるのも遅めだったし」
『おれに言わせると、家で仕事するのも無理なんだってば』
「そうかもしれないけど、集中してて気づかなかっただけ。意識して抜いたわけじゃないわ」
『…………』

 アッテンボローは人気のない場所で通信をしているようなので、いつものように話しても問題はなさそうである。それでも、は意識して声を低めた。
「ダスティはお腹空いてる?」
『まあ、それなりに』
「夕食に何か作るとしたら、買い物に行かなきゃいけないんだけど」
 事実である。
「待ち合わせて、どこかに食べに行く?」
『おれは今、ひどい格好だぞ。それに、わざわざに出てきてもらうのも、その状態で買い物に行かせて食事を作ってもらうのもなあ』

 アッテンボローとはモニター越しに顔を見合せながら、しばし沈黙した。
『よし、こういうのはどうだ? おれが今日の夜と明日の朝の分を買って、の家に行く。食事を置いたら、おれは家に戻ってシャワーを浴びて、泊まりの支度をしてくる』
「……いいの、それで?」
『もちろん。おれはパーティに出てたけど、は仕事してたんだから』
 そこまで言われれば、反対する理由はなかった。
「じゃ、お願い」
『分かった。待っててな』
「ええ」
 は微笑んで通信を切った。


 アッテンボローが実際にやって来たのは30分ほど後のことである。チャイムの音がして玄関に出たは、やって来たアッテンボローを一目見て苦笑した。
「すごい格好ね」
「ああ。かかってるのがビールなのかシャンパンなのか水なのか、見当もつかない。ちなみに帰りの電車の中はみんなこんなものだったぜ」
 はそう言ったアッテンボローの顎に、痣ができていることに気づく。
「とりあえず、これが食事な」
「ありがとう」
 は笑って荷物を受け取った。
「じゃ、シャワー浴びて着替えてくるよ」
「ええ」
 さすがにシャワーにいつもより時間をかけてたようで、アッテンボローが来たのは比較的遅かった。またチャイムが鳴っては玄関に迎えに出たが、そこにいたのはいつものアッテンボローである。

「お邪魔します」
「どうぞ。コーヒー淹れるけど、カフェインがないもののほうがいいわよね?」
「ああ。は気が利くなあ」
「どういたしまして」
 は微笑んだ。何しろ徹夜で騒いでいたということは、今日は早く休む可能性が高いのである。
「それとも、もう食事にする?」
「いや、それはもうちょっと後でいいよ」
「分かったわ」
 はそう言っていつものようにコーヒーメーカーに豆をセットした。一方のアッテンボローはさっさとソファに腰を下ろしている。は隣に座り、アッテンボローの顎に手を伸ばす。
「どうしたの、これ?」
「……トランポリンでビール瓶片手に見知らぬご婦人とダンスしてたら、相手が男に変わったんで、3人ばかり殴り倒した」
「ふうん」

 言葉の前のためらいは何となく理解できたが、はあえて反応しなかった。それをどう解釈したのか、アッテンボローはおそるおそるこう言ったものである。
「……怒らないのか?」
「怒ってほしいの?」
「いや、別にそういうわけじゃないけど」
「ダスティがわたしに言えないようなことをしたって知ったら、わたしも同じことをするかもしれないわよ」
「…………気をつけます」
 アッテンボローが神妙にそう答えたところでコーヒーが出来上がり、はソファを立った。
「どうぞ」
「いただきます」


 そうしてコーヒーを一口飲んだら、今度はアッテンボローがに尋ねる番である。
「で、どうだ? 要塞防御システムの件は」
「まだ何とも言えないって言うか、ヤン提督と話し合わなきゃいけないことがたくさんあるんだけど……」
 はそう前置きして、自分が考えたことを簡単にアッテンボローに話した。
「なるほどなあ」
「3日が艦隊運用演習じゃなくてよかったわ。なるべく早く、ヤン提督に報告したいから」
「……がパーティに出なかった理由がよく分かったよ。一人で集中できる環境が欲しかったんだな?」
「ええ。オフィスだとどうしても……ね」
 実際、集中できる環境さえあれば半日で方向性が見えたことなのである。

「今後もそういう環境が必要になるか?」
「分からない。でも、ここまでじゃなくてもいい気はする」
「そうか」
 アッテンボローはそう言って考え込んだ。
「どうしたの?」
「いや、集中できる環境が欲しいからって家で仕事するのはさ、本当は違うと思うんだよなあ」
「そうだけど……」
「分かってる。でも、なるべく勤務時間内で終わらせるに越したことはないからな。今後、こういうことがあったら会議室でも何でも遠慮なく使ってくれ。何ならおれの執務室に来たっていい」
「……それはわたしのオフィス以上に集中できない気がするけど?」
「それもそうか」
 アッテンボローは笑いながら頭をかいた。


「要塞防御システムの件で、今後、がやることは?」
「……実際にプログラムを見てみるから、帝国公用語の勉強ね」
「そうだなあ」
 何しろイゼルローン要塞はそもそも帝国軍が建設したものなのである。
「実を言うと、グリーンヒル大尉から送られてきた要塞防御システムの資料には辞書がなかったの」
 の何気ない呟きに、アッテンボローは即座に反応した。
「辞書なしで分かるのか?」
「さあ。分からなかったらシェーンコップ准将に聞くわよ。その辺りはヤン提督からもう話をしてあるみたいだし」
「…………」

 途端に沈黙したアッテンボローに、は苦笑いする。
「そんなに心配しなくてもいいと思うけど」
「そうか? おれが付き添ってもいいぜ」
「要塞防御システムにダスティは関係ないでしょ」
「そうだけどさあ……。できるだけ会わないで済むようにできないか?」
「あんまり疑うとシェーンコップ准将に失礼よ」
「直接は言わないよ、当たり前だけど」
 ここまで言われると、は真顔になった。
「……じゃ、ちょっと対策を考えてみる。使うかどうかは別だし、もし使うとしたらきっとダスティにも協力してもらうことになると思うけど……いい?」
「もちろん」
 アッテンボローはコーヒーカップを置いてを抱きしめた。

「何だかこうするのも久しぶりだな」
「そんなことないわ」
「うーん、そうかなあ」
「わたしが新年パーティに出なかっただけじゃない」
「あ、そのせいか。もうおれの近くにがいるのが当たり前になってるから」
「…………」
 は赤面しながら苦笑した。
「……後悔してないか?」
「全然。ここでパーティに出てたら、いつ要塞防御システムにとりかかれるか分からなかったし、自分で決めたんだもの。実際、方向性は見えたしね」
「ならよかった」
 アッテンボローはそう言って息を吐いた。


「……コーヒーもらっといて悪いけどさ、腹が減ってきた」
 さすがにおそるおそる言い出したアッテンボローに対して、はまた笑う。
「はいはい。じゃ、早いけど夕食にしましょうか」
「ちなみに、は?」
「わたしもお昼を食べてないから、それなりに」
「そうか」
 アッテンボローは明らかにホッとしたようだった。
「じゃ、支度するわね」
「手伝うよ」
「ありがとう」


 食事と片付けが終わると、アッテンボローはまたを見た。
「どうしたの?」
「疲れすぎて、もう一回シャワーを浴びる気力がない。このまま寝てもいいか?」
「……どうぞ」
 わずかにためらったが、結局、はその申し出を受け入れた。昼過ぎに来たのだから、家でシャワーを浴びてからまだたったの数時間である。ただ、何のためらいもなく寝室に行こうとするアッテンボローに、はこう言わずにはいられなかった。
「で、何でわたしのベッドで寝ようとしてるの」
 それに対して、アッテンボローはぬけぬけとこう言い返したものだ。
「逆におれが聞きたい。わざわざ泊まりに来て、どうして違うベッドで寝なきゃならないんだ?」
「……あらかじめ言っておくけど、寝相が悪くてわたしの寝る場所がなかったり、眠れないくらいのいびきをかいてたら遠慮なくベッドから蹴り落とすわよ」
 「突き落とす」ではなくあえて「蹴り落とす」と言った真意はきちんと伝わったらしい。アッテンボローは顔を引きつらせながらもうなずいた。

「分かった。お休み」
「お休みなさい」
 それでもは目を閉じて、お休みなさいのキスを受け入れる。アッテンボローが寝室に消えると、はもう一度要塞防御システムの資料を端末に表示させた。さすがにが休むにはずいぶん早い。自分が考えたことをもう一度検証して、抜けていることや大きな欠陥がないことを確認してから、データをオフィスでも見られるように保存する。
(これで一段落、と)
 大きく息を吐いてお風呂に入り、寝室に行ったところで、そういえばアッテンボローが泊まりに来ていることに気づいた。
(…………)


 とりあえず律儀にの寝る場所は開けてあるし、ひどくいびきをかいているわけでもない。ただ熟睡しているのは間違いないようで、穏やかな寝息が聞こえてくる。
(わざわざ泊まりに来て、何で違うベッドで寝なきゃならない……か)
 ベッドに身体を滑り込ませながら、は一人で赤面した。ああ言ったものの、確かにアッテンボローが他のベッドで寝ると言い出していたら、何がしか納得できない気持ちだっただろうなとも思う。
(まさか、こんな関係になるなんて……)
 半年前どころか、3ヶ月前でも予想だにしなかったのである。うれしいのは嘘ではないが、この間アッテンボローに告げたように、どこか気持ちがついて行かないのも事実だった。
「……そんなに焦らなくても、わたしはどこにも行かないからね」
 はごく小さな声でそう言ったが、聞こえていないと分かっていてもつい赤面する。
(寝よう)
 今日は休日とはいえ、要塞防御システムでさんざん頭を使ったのである。はいつもされているようにアッテンボローの頬に唇を寄せると、隣で目を閉じた。


 寝た時間が早ければ、起きる時間も早いのは道理である。アッテンボローが目を覚ましたのは標準時の早朝だった。
(…………よかった)
 自然に目が覚めて引き続きベッドで寝ているところを見ると、にとって極端な迷惑行為をしなかったようである。
(いつ寝に来たんだろ? 全然気づかなかったぜ)
 さすがに今を起こすのはためらわれる。幸いはこちらを向いているので、いつものようにじっと寝顔を見つめた。
(きれいだ、本当に)
 我ながら芸のない感想だが、毎回そう思うのだから仕方がない。そして、この無防備な寝顔を好きなだけ見られるのは自分だけだという事実で、いつも幸福感に満たされる。
(いつ起きるかなあ)
 何しろまだ時刻は早朝なのである。今日は絶対に自然に起きるまでを起こさないようにしようとアッテンボローは心に決めた。


 結局、が目覚めたのはそれから数時間後である。
「ん……」
 さんざん観察していれば、目覚めかけているかどうかも分かる。すぐにアッテンボローはを抱きしめ、顔じゅうに唇を寄せた。
「おはよ」
「……おはよう。相変わらずな起こし方ね」
「おれの愛情表現だって」
 は赤面し、小さく息を吐いた。
「こういうときのダスティって、ときどきポプラン少佐やシェーンコップ准将みたいに見えるわ」
「おれは以外にこうするつもりはないぜ」
「当たり前じゃないの」

 さほど怒っているわけではないにせよ、言葉の勢いはそれなりに強い。
「ごめん」
 こういうときはさっさと謝ってしまうに限る。困ったようにを見ると、さすがにの瞳から険が消えた。
「……ううん、わたしのほうこそごめんなさい。こんなところで、他の男性の名前を言うなんて」
は真面目だなあ」
 怒っているわけではないと示すために、に優しく唇を重ねる。
「おれと一緒に住めば、毎日キスで起こせるけど」
「……その代わり、頻繁に朝も外で食べるのは嫌」
「やっぱりそうか」
 そう期待していたわけではないとはいえ、予想通りに切り返されたアッテンボローは苦笑いした。

「……でもね。ダスティが料理が苦手でも、それで別れたいとまで思ってるわけじゃないの。このまま一緒に住むのは勘弁してほしいだけで……」
 赤くなりながら小さな声でがそう言うと、アッテンボローはまたを抱きしめた。
「うん、分かってる。でも……ちゃんと教えてくれてありがとな」
 はうなずいた。それを見てから、また顔じゅうに唇を寄せる。
「本当にこういうのが好きね」
「何て言うか、キスしたくなる唇と肌なんだよなあ」
「ダスティがキス魔なだけでしょ」
「ま、そういうことにしとくか」

「そろそろ起きる?」
「……そうだな。おれが起きてから結構経ってるし」
 その言葉に、は目を見張った。
「そうなの?」
「ああ。何しろ寝たのが早かったから」
「じゃ、起きてずっと……」
の寝顔を見てたよ。いつ見ても無防備でかわいいな」
「…………」
 は赤面して首を振る。
「でも、起こさないように我慢してたんだぜ」
「……ありがとうって言っておくわ」


 買ってきたもので食事を済ませ、いつものようにコーヒーカップを片手にソファでくつろいでいると、アッテンボローは不意に苦笑いしたものである。
「本当におれたちの休日の過ごし方は代わり映えしないなあ」
「まあ、今日は2日だもの。外に出ても、お店が営業してるとは限らないし」
「それもそうだ」
 そして、次にこの話題が出るのもいつも通りである。
「明日からの予定は?」
「今週はデスクワークと演習が交互に入ってるなあ。例の艦隊運用の基準作りの会議もあるし」
「そうね」
はいよいよ本格的に要塞防御システムに取りかかるのか?」
「その前にヤン提督と相談しなきゃならないことも多いけど……。明日の朝、オフィスに行ったら忘れずにアポを取らなきゃ」
 何しろ、自分だけで決められないことは多いのである。
「何度も言うようだけど、無理するなよ」
「ええ」


 仕事の前の日は泊まらないという約束なので、アッテンボローは夕食後に自分の家に帰った。いつものように玄関まで見送ってドアが閉まると、は大きく息を吐く。
(仕事でもプライベートでも、本当にいつも一緒ねえ……)
 はもう少し自分だけの時間が欲しいと思わなくもないのだが、絶対に必要だというほどでもない。ということは、自分が思っている以上にこの状況に順応しているのだろう。
(さて、と)
 それでもまた明日からは仕事なのである。は意識的に頭を切り替えた。


 1月3日。事実上、宇宙暦797年の仕事始めの日である。特に急ぎの案件があるわけではないので、はいつも通りに出勤した。そうは言っても、定時から考えればだいぶ早めである。
(わたしが一番早く出勤するのは、あんまりよくないかなあ)
 そう思うのは確かだが、第10艦隊に所属していたときからずっとは早めに出勤しているのである。先日の一件で、オフィスに最後まで残るのがよくないのは分かったが……。
(まあ、でもみんなが気にしてないからいいか)
 司令部に着いてからそんなことを考えているうちに、自分のオフィスに到着する。の予想に反して、鍵は開いていた。

「おはようございます」
「……おはようございます、艦長」
 オフィスにいたのはベイリーだった。今日はノールズの姿はない。
「お一人ですか?」
「ええ。いつも一緒にいるわけではありません」
「そうですね、失礼しました」
 そんな会話を交わしながら自分の席に座り、掌紋で端末を起動させる。
「艦隊行動の基準づくりのため、ですよね?」
「はい。正直なところ、小官に会議をまとめられるのか不安があります」

 考えてみれば、ベイリー自身もまだ30代のはじめなのである。標準的な速度で出世しているとはいえ、相手には年上や階級が上の出席者ばかりなのだ。
「……どうしても困ったら、言ってください。わたしが替わります。これはもともと、わたしがやるべきことですから」
「いえ、そういうわけにはまいりません。艦長は要塞防御システムの件でお忙しいのに」
 は微笑みながらはっきりと首を横に振った。
「でも、現時点で提督に参加していただくわけにはいかないでしょう?」
「……それもそうですね」

 アッテンボローは基準を作った当の本人であり、まして階級は少将だ。本人が会議に出席すれば、危惧していたように否定的な意見は出にくい。そして、変に気を遣って適正な基準が決められなければまったく意味がなくなってしまう。
「分かりました。ここは小官の踏ん張りどころですね」
「ええ」
 がアムリッツァ会戦後に初めて戦艦の艦長になったように、ベイリーも同じタイミングで副長になったのである。
「……よろしくお願いいたします」
「かしこまりました」


 全員が出勤して簡単なミーティングを終えると、は司令室に通信をつないだ。
「おはようございます、グリーンヒル大尉。ヤン提督に要塞防御システムの件でお会いしたいのですが、ご都合はいかがですか?」
『確認してまいります。少々お待ちください』
 そう言ってフレデリカは手元の端末を操作した。実際、待っているのはわずかな時間である。
『いちばん早くて11時から空いておりますが、中佐のご都合はいかがでしょう?』
「構いません。では、11時にうかがいます」
『かしこまりました。ヤン提督にそのようにお伝えします』
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 はそう言って通信を切った。朝いちばんで呼ばれてもいいように説明用の資料はすでに作成済みなので、これで11時までは他のことができる。
(さて、と)
 要塞防御システムの他にもやることは山積みである。は自分のやるべきことへと意識を集中させた。


 11時の少し前に、資料を用意して席を立つ。
「司令官室へ行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
(これにもなかなか慣れないわね)
 以前は大部屋の一角だったのでさほど気にならなかったが、今は個室であり、年上男性の部下たちに送り出されるのだ。はオフィスを出て、司令官室へ向かって歩き始めてからようやく苦笑する。

 きちんとアポを取ったので、は問題なくヤンに会うことができた。
「お疲れさまです。要塞防御システムの方向性の案を立てましたので、ヤン提督のご意見をうかがいたいのですが」
「早いね」
 それは予想外で、は一瞬言葉に詰まった。
「……そうでしょうか? このお話をいただいてからもう1ヶ月経っていますが」
中佐が要塞防御システムに専念していれば、そうだろう。でも、旗艦の艦長業務をこなしながらだからねえ」
「その代わり、副長に負担をかけております」
「そうか」
 さすがにヤンは考え込んだのだが、こうなるとのほうが苦笑せざるを得ない。
「ヤン提督、本題に入ってもよろしいですか」
「そうだった、すまない」
「では、まずこちらをご覧ください」


 が資料を見ながら一通り説明し終わると、ヤンは大きくうなずいた。
「ありがとう。さすがによくまとまっているね」
「恐縮です。問題はこれからなのですが」
 それから、あえて声を低める。
「極秘部分についてはまだ手をつけておりません。この表向きの案件をどうやって実現するか検討する中で、方法も見えてくると思います」
「私もそれを願っているよ」
「……はい。全力を尽くします」
 残念ながら、それについてはまだできるともできないとも言えないのである。
「こちらで検討すべき案件は、また改めて連絡する」
「はい。よろしくお願いいたします」
 これでやるべきことは終了であり、は敬礼をして司令室を出た。


(さて……)
 時刻は昼である。このまま士官食堂へ行こうか、それともオフィスに戻るかと考えていたとき、端末が振動した。何だろうと思いながら表示させると、一文が表示される。
士官クラブガンルームにいる。よければ来てくれ』
(…………)
 は苦笑いした。わざわざ居場所を知らせてきたのである。無視するのも気が引けて、士官クラブガンルームへと足を向けた。珍しく、そこにいるのはアッテンボローとユリアン少年だけだった。
「お疲れさまです、提督」
「お疲れさま。それに、ここでは気を遣わなくていいんだぜ」
「わざわざ連絡しなくてもいいのに」
「そう言うなって」
 アッテンボローの隣に腰を下ろしてから、はユリアンを見た。
「あ、ヤン提督もそろそろいらっしゃると思うわ」
「ありがとうございます」

 注文を済ませて立体TVソリビジョンに目を移すと、そこには見知った女性の姿があった。ジェシカ・エドワーズである。様子からして、反戦派の新年の集会のようだ。
「いや、あのジェシカ・エドワーズがねえ……。人間どこでどう進路が変わるか、分からないものだな」
「そうね」
 が同意すると、ユリアンは驚いたようだった。
「そうか、お二人はヤン提督の士官学校時代のことをご存知ですよね」
「ええ」

「……ヤン提督は、エドワーズ女史のことを……」
 ユリアンは言葉を濁したが、意味は伝わる。問われたアッテンボローは首をかしげた。
「そうだなあ……。ジェシカ・エドワーズが先輩とくっついたとしても、まあそれほど意外じゃなかっただろうなあ。恋人っていうより、いい友だちって印象だったけど」
「同感ね」
 そこでユリアンは何かに気づいたようだった。
「ちなみにお二人はいかがでした?」
 アッテンボローが何か言うより早く、が口を開く。

「わたしは課題をこなすのに必死だったわ」
「嘘つけ、あのときのどこが必死だった? それなのに、おれよりも成績がよかったじゃないか」
 それでもはまったく動じない。
「誰かさんが門限破りをしたり、有害図書を押しつけたりしたせいで、わたしまで風紀委員に目をつけられたのよ。だから余計に勉強を頑張らなきゃいけなかったの、分かってるでしょう?」
 アッテンボローは文字通り言葉に詰まり、ユリアンに視線を向けた。

「なあユリアン、怒ったら怖い女性を恋人にするもんじゃないぞ」
「……そうですか?」
 おそるおそるユリアンがこちらを見るのはやむを得ないだろう。は明らかに顔をしかめていたのだが、アッテンボローの言葉には続きがあった。
「ま、惚れた女がそうだったら仕方ない。おれはもう諦めた」
「……ごちそうさまです」
 思いがけない話の転換に、は赤面した。





2019/7/2up
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